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2017/05/04 20:36
自分が思う競馬の本質
それは、ざっくり言えば『可能性を追い求めること』だと思う。
馬が、騎手が、調教師が、1%でも多くレースに勝てる可能性を追い求め、訓練し、感覚を研ぎ澄ませ、そして戦いの場でよい良い結果を出すべくしのぎを削る。
ファンはファンで、馬券を獲るために少しでも多くの情報を収集し、分析し、考え抜いて馬券を選び、レースで一喜一憂し、勝ったものも負けたものも、一様に次へ向けてまた情報を集め始める。
そこに100%など存在し得ない、自分はそう思います。100%がないからこそ、皆100%に少しでも近づけるように努力をしているのだと思うんです。
可能性を否定するのは競馬という競技の本質を否定するのとほぼ同義です。例え天と地ほど実力差があったとしても、100回、いや1000回、あるいはそれ以上にレースを繰り返せば、何かが起こっていつかその差が覆ることもあるかもしれない。だからこそ(というわけでもないでしょうが)、どんなに最低人気の馬であってもオッズはつくし、それを買おうとする人間もまた現れる訳です。そこに1%でも可能性がある限り。
もし仮に、全てが思いのままに理解出来、あらゆることを予知できる神の如き存在がいるとしたら、その存在は競馬を見て『なんてつまらないんだろう』と思うでしょうね。勝ち負けの分かっているモノにどうしてお金をわざわざ駆けて遊ばなければならないのか、と。
そこに1%でも可能性がある限り、競馬に終わりはありません。例え一回レースに負けたとしても、次に同じ結果になるとは限らない。だから競馬なんです。そこは履き違えてはいけないと思います。