865件のひとこと日記があります。
2014/09/07 19:27
私と競馬の歴史その12
競馬の終了した日曜日の夜、皆様いかがお過ごしですか?先週の負け、今週の旅行とお金があ
りませんでしたので、本日は苦しい競馬となりました。それでもHB新聞を信じて勝負したの
は正解でございました。あとはどれだけ勝負レースを見極められるかだけです。それはさてお
き先週の続きです。95年1月17日の朝方私はとてつもない揺れで目が覚めてしまいました。幸
い私の住んでいたマンションは奈良でしたので大した被害はなかったのですが、この日車で会
社に向かおうとしたところ高速が閉鎖され一般道は大渋滞となっておりました。全然動かない
ので一旦家に引き返しテレビを付けてみると高速道路がひっくり返り、電車も脱線し多くの建
物が倒壊しておりました。会社に電話しようにも電話が通じず実家にも電話が出来ない状況と
なっておりました。忘れもしない阪神淡路大震災です。翌日は大渋滞の中一般道を車で通勤。そ
の日からしばらくは目の回る忙しさでありました。2,3回行ったこともある阪神競馬場も見に行
きましたが中はひどい状況になっておりました。当然競馬はできないのでPOGだけが競馬の楽
しみでございました。6頭の持ち馬の中で牡馬のエースはタヤスツヨシでしたが、牝馬のエース
はダンスパートナーでありました。サンデーサイレンスの初年度産駒となったこの年の6頭は私
の持ち馬は全てサンデーサイレンス産駒で固められていました。オークスは近所のノミ屋さんで
買ったのを覚えています。このレースだけですよ。ノミ屋さん使ったのは。やがて復興事業も落
ち着き、翌年の春再び私は横浜に呼び戻されるのでした。(続く)
-
広瀬さん、コメントありがとうございました。あれから20年近くたったのですね。月日のたつのは早いものです。
-
広瀬北斗さん
震災後の関西を訪れたのは半年程度たってからです。会社の大阪支社は大阪駅付近だったのですが,その時は訪問先に元町のありました。府内を出てドンドン神戸に近づくと本当の被災地を目の当たりにしました。なんて訪問先の方に声をかければ良いか,迷ったものです。
-
飛虎さん、コメントどうもありがとうございました。私も初めて被災した地域にバスで向かったとき、倒壊した家々を見てここに住んでいた人はどうなったんだろうと思うと目頭が熱くなった記憶があります。ボランティアに行かれたそうですが、そういった心掛け頭が下がります。
-
飛虎さん
SHARKTAKEさん、こんばんは。
震災は悲しすぎますね。
画像が現実とは思えませんもの。
東日本の時は、ボランティアに行きましたが、
心が痛みました。 -
飛虎さんがいいね!と言っています。