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2015/06/04 12:03
最後のG2鳴尾記念優勝馬
現在の鳴尾記念はG3ですが、このレース何度か条件が変わり、最初はハンディキャップ重賞競走として、距離も2400mで年2回行われていました。
それが年1回に変わり、距離も2400mとか2500m、2200m、2000m、1800mなど変わり、1度だけ中京で行われた時はダートで2400mでした。
時期も3月4月6月12月と変化し、1984年にグレード制が導入されてからはG2レースとなり、2000年にG3に降格されました。
そして2012年、距離2000m6月開催とやっと落ち着いたのです。
そのややこしい鳴尾記念のG2最後、1999年の勝ち馬がスエヒロコマンダーです。
その母スエヒロジョウオーは血統的にも体格的にもあまり期待されていなかった牝馬でした。
将来、繁殖としての引き取りも1度は軽量すぎると拒否されたくらいです。
それが、阪神牝馬ステークス( 現在の阪神JF )を勝ちG1馬となります。
その時の配当金額が馬連で12万という万馬券。( 現在も馬連ではJRA最高配当 )
1992年度のJRA賞最優秀3歳牝馬( 旧年齢 )に輝くも、その後、大怪我を負うアクシデントがあったりで活躍できず、早々と引退したのでした。
一度は引き取りを断った牧場さんでしたが、G1馬ならばと前言撤回。
無事、彼女は繁殖さんになれました。
馬体重390キロと小さな体で、繁殖としての評価も低かったのですが、1年目からコマンダーを出し、またまた周りを驚かせたのです。
そんな母から受け継いだDNAでスエヒロコマンダーは、小倉大賞典、鳴尾記念を勝ち、地味ながらもコツコツと頑張り2003年引退しました。
稼いだ賞金額4億4千万。
G1には届かなかったけれど、鳴尾記念ではスティゴールドにも勝っています。
種牡馬としては少し残念な結果で、2008年に種牡馬引退になるはずが、娘のイナズマアマリリスがファンタジーステークスを勝った為に、急きょ引退撤回になったコマンダー。
しかし、お相手が集まらない事もあり、結局2010年種牡馬引退が決まったのでした。
最初は岩手での功労馬生活でしたが、2012年から那須の牧場さんに移動、コマさんと呼ばれ、愛され、大切に見守られています。
画像は那須に移動した頃のコマンダーで、B牧場さんから頂いたものです。
コロコロ変わった鳴尾記念、この母仔の馬生も変化の多いものでした。
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sevenさんがいいね!と言っています。
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sevenさん
お母さんも立派でしたね!
コマンダーも長生きしてほしいです、この顔が変わらずに‥良い表情のままで…* -
でぃらろーしぇさんがいいね!と言っています。
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エドリンさん
馬のきもちさん、こんにちは。
愛情をたっぷりかけられているお馬って、表情が違いますよね。
人に対して堂々と正面から見つめてきます。
引退馬に会うと、心が優しく穏やかになるのは、きっとお馬たちが「 人が大好き!」オーラを振りまいてくれるからではないでしょうか。 -
エドリンさん
Affirmedさん、いいね!ありがとうございます。
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馬のきもちさん
きりっとした、綺麗なお顔!
愛に包まれて生活している様子が目に見えるようです☆☆ -
Affirmedさんがいいね!と言っています。
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エドリンさん
らすかるさん、いいね!有り難うございます。
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らすかるすずかさんがいいね!と言っています。
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エドリンさん
ポッケモンさん、いいね!ありがとうございます。