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2016/09/23 08:23
一の谷古戦場
わたしは親になったことがないので
解らないけれど、一番の親不孝は
子供が親より先に死んでしまうことだと
聞いたことがある。
わたしは決して、親孝行者ではないけれど
『最大の親不孝』と言われることを
避けることができたのは良かったと思う。
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西暦1184年に摂津国(現・兵庫)福原及び須磨で
源氏と平家の有名な戦があったと伝わる場所。
現代では『一の谷の戦い』と伝わる古戦場。
たぶん、源義経の
「鹿も四つ足、馬も四つ足」と
逆落としで奇襲をかけた戦っていうイメージを
持つ人が多い気がする。
話を掘り下げると、源義経は
一の谷を攻め落としてはいるけれど
逆落としや奇襲攻撃を仕掛けたとは一切
書かれていないのだとか。。。
まあ、歴史は勝者が記すもの(笑)
脚色は当然あるものと見なすべきでしょう。
それはそれであえて否定するつもりもない。
源義経さんが英雄であることには変わりなし。
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一の谷でもう一つ有名なのは
『敦盛の最期』で知られる
平敦盛(たいらの あつもり)と
熊谷直実(くまがい なおざね)の物語。
須磨浦公園の隣に
敦盛の胴塚があり、なんとも
寂しげな雰囲気だった。
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合戦の一番乗りの功名を果たした直実は敵を探していると、
沖の船へ逃れようとする平氏の武者を見つけて
「返せ、返せ」と呼びかけた。
武者はこれに応じて、陸へ引きかえして直実と組むが、
勇士の直実にはとても敵わず、組み伏せられた。
直実は首を取ろうとするが、
武者の顔を見ると薄化粧をした美しい顔立ちの少年だった。
武者は清盛の弟経盛の子敦盛16歳と名乗った
(『源平盛衰記』による。『平家物語』では名乗らない)。
直実の息子直家も同じ16歳で、憐れに思い逃そうとするが、
他の源氏の武者が迫っており、
とうてい逃れることはできまいと泣く泣く敦盛を討ち取った。
直実は武家の無情を悟り、後に出家して高野山に登った。
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自分の息子と同じくらいの若者を斬るのに
どれほどの躊躇いがあったかが伝わるような話。
その後、熊谷直実は有名な法然の弟子となり
蓮生と名乗り出家をする。
贖罪の為に残りの生涯を捧げ
お経を唱え続け全国各地にお寺を建てたりと
足跡を遺した。
今もなお、熊谷市には
直実のブロンズ像が立ち、
全国各地には彼が開いたお寺が残っている。
また、この『平家物語』の名場面は、
のちに能『敦盛』、幸若舞『敦盛』、
文楽/歌舞伎『一谷嫩軍記』などの題材となった。
織田信長の好んだ歌
「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。
一度生を享け滅せぬもののあるべきか 」は
幸若舞『敦盛』の一節。
すごく悲しい物語だけど
決して忘れてはいけない事実あったお話。
また悲劇を繰り返さないように
歌や言い伝えとして遺されているんだね。
源平合戦が今もなお
語られる理由が少しわかった気がする。
今度は須磨寺にも行ってみたいなあ♪
安徳天皇なんとかって場所もあったなぁ♪