756件のひとこと日記があります。
2016/12/14 14:00
Halley's comet
司馬遷が著した歴史書『史記』の中にある
「秦始皇本紀」。始皇帝7年条に
「彗星先ず東方に出で、北方に見ゆ。五月西方に見ゆ」
との記載がある。
これが、ハレー彗星に関しての
世界最古の明確な観察記録なのだとか。
(紀元前240年5月25日。)
でも、天文学史とは
ある意味で
人類歴史の長さと同じ。
文献に残されていないだけで
後に”ハレー彗星゛と呼ばれる周期彗星だとは知らずに
目にした古代の人も、沢山いたのだとは思う。
そういえば、以前
陰陽師で有名な『安倍晴明の仕事とは』
みたいな番組があったのだけれど
とにかく、年がら年中夜空を眺めて
星の観察をして、それを記録する。
みたいな感じだった記憶。
もちろん、それだけじゃないけど。
現代風に言えば
『国家公務員の占い師』だったらしいのだけれど
本当に好きじゃないと
退屈すぎて飽きるだろうな〜って思った。
形は違うのかもしれないけれど
紀元前240年に秦でハレー彗星を観察した人も
同じような官職だったんじゃないかな。
平安時代は長安を模倣してたって聞くし。
でも、星を観察していたのは何も
東アジアの日本や秦だけではなくて
『天文台』は国籍も文化年代も関係なしにある。
それだけ人類歴史と密接な関係。
至る所で『彗星発見』の記録が残されている中で
17世紀、イギリスのエドモンド・ハレー博士が
ある24個の彗星の軌道の計算をする。
すると、1682年に観測された彗星の軌道が
1531年にドイツでアピアヌス博士が
1607年にチェコでケプラー博士が観測した彗星と
性質がほぼ同じだということに気付いた。
そして
「3つの彗星は同じ星で76年ごとに回帰した。」
との結論を出す。
ハレー博士は"その彗星"の
軌道の乱れなどを計算した上で
「次は1757年に現れる」と予言をする。
その彗星は、木星と土星の摂動の影響もあって
約618日間の遅れはあったものの
1758年の12月25日に再び観測され
ハレー博士の予言が的中した事が証明された。
でも、予言をしたハレー博士は残念ながら
1742年に事実を確認する事なく
亡くなってしまっていた。
もっとも、確信はしていた気がするけど。
一つ一つの彗星発見と言う
点と点を線に繋げて
一つの星だと結論を出せた功績。
これらに敬意を表すような形で
この彗星が「Halley's comet(ハレーの彗星)」
と名付けられた。
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
って言うのが
天文学史に残るハレー彗星の簡単な略史。
数多く発見されている中で
最初の周期彗星の確認
と言うか発見でもあるのだとか。
水金地火木〜〜の惑星の他に
何故かハレー彗星の本がウチにあったので
個人的に思い入れのある星なのよね。
ハレー彗星は新約聖書に出てくる『ベツレヘムの星』
なんじゃないか?って研究家も居るみたいだけど
紀元前12年に発見された文献があることを考えると
イエス様の御生誕には早すぎて科学的にはちょっと無理がある。
個人的には、もしそうなら尚良いと
思ったりもするんだけど。
でもね
関係ないのかもしれないけど。。。
ハレー博士の予言が成就されたのが
クリスマスだったって言うのがとっても
ロマンティックだと思うなぁ(*^^*)
ユリウス暦だと、
友人ニュートンの
誕生日でもあるのだとか☆
ニュートンってクリスマス生まれなのね♪
ハレー博士は天文学だけじゃなくて
様々な分野で実績を残した人。
本当にリスペクト出来る科学者だと思う。
ちなみに20年以上にわたって亡くなるまで
グリニッジ天文台長だったのだとか。
凄すぎて同じ人間とは思えないわ。。。
ニュートン、フックと同じ時代と言うのも信じられない(笑)
そういえば、今日の科学では、
ハレー彗星の公転周期は75.3年と
計算されているんだって。
前回の近日点通過が1986年で今から30年前。
次回は2061年夏(◎_◎;)
観てみたいけど、、、い、生きてるかな。。。