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2017/08/17 11:00

受け継がれる戸山イズム『鍛えて最強馬をつくる』

競馬ファンなら一度は調べたことがあると思うけど

「自分と同い年で活躍した競走馬は?」

ラムタラアブクマポーロマヤノトップガン!スウェイン♪

みたいな?(笑)


“私達”が4歳になった頃には

同い年のラムタラはもう、

「奇跡の馬」って呼ばれて引退していたと思うと

やっぱり凄い♪


ランドセルを背負って小学校へ通っていたころには

アブクマポーロは8億も稼いでいたとか・・・。

比べるものでもないけど、やっぱり凄い♪

わたし(25牝)も獲得賞金負けないようにファイト(笑)


「生まれた年のダービー馬は?」

→1992年ミホノブルボン


「同い年のダービー馬は?」

→1995年タヤスツヨシ


このダービー馬2頭の鞍上は奇遇にも小島貞博と言う人。

ダービー2勝なんて凄すぎて、

初めて知った時は、さぞかし凄いジョッキーなのかと。

あの岡部幸雄ですら、シンボリルドルフの1勝だけらしいから。


でも、今の知識で見てみると恐らくだけど

小島貞博さんを障害戦ではともかく

平地での名手だと思っていた人はそれほど多くなかったのだと思う。


「なんで大事なダービーに巧い騎手を乗せないの?」

って疑問が湧くけれど

それを紐解いてくれたのが2頭の調教師での繋がり。


ミホノブルボン=戸山為夫

タヤスツヨシ=鶴留明雄


鶴留調教師は最初、武田文吾厩舎の所属となってのち

戸山為夫厩舎の所属騎手となっている。

小島さんにとっては兄弟子にあたる人。

だからと言ってダービーに乗れるわけでない厳しい世界。


武田文吾師もそうだったらしいけど

戸山師も、だれより『人の繋がり』を

大事にする人だったらしい。


鶴留さんは、そんな厳しくもあたたかい師匠の影響を

強く受けての厩舎経営だったのだとか。


1993年に馬事文化賞を受賞した

【鍛えて最強馬をつくる】を最近、

初めて読んでみた。


感想はひとことで言い表せないのだけれど

20年以上経た今見ても

戸山師の先見性、知識、知恵、教養、愛情が伝わってきて

何よりも『家族愛』で涙があふれてきた。


戸山師は奇しくも、

ブルボンのダービーから丁度一年後に亡くなる。


戸山厩舎解散後、フリーとなった小島騎手。

もともとそれ程、騎乗評価の高くなかった小島騎手は

ほとんど騎乗依頼が無くなり、生活にも困窮する。


そこで、救いの手を差し伸べたのが鶴留師。

小島騎手は鶴留師とのコンビで

94年にはチョウカイキャロルでオークスを

95年にはタヤスツヨシでダービーを制す。


小島騎手の最期は決してハッピーエンドじゃないけれど

戸山先生なら辛い時こそ

あたたかく迎えてくれてるんじゃないかな。


鶴留師の弟子は池添親子。

特に謙一騎手は3冠騎手となるなど大成功を納め

弟の学さんは親に引き続き調教師となり

社台Gのバックアップを受けながら活躍中。


森秀行調教師も戸山師の弟子の一人。

既に孫弟子の小崎師も結果を残しているけれど

わたしが競馬を知った頃は藤沢師と並んでトップ調教師だった。


森師は戸山師を“反面教師”としていたのだと思う。

坂路で鍛える方針は受け継ぎつつも

シンプルに良い馬には良い騎手を起用し、

乗り替わりも辞さない。


ところが、最近の森厩舎は所属馬をほぼ、

所属の川又騎手に乗せている。

心境の変化でもあったのかなって思ったけれど

それは本人に聞いてみないとわからない。


これは想像だけど、

小島師が自ら命を絶って亡くなった事が

影響しているんじゃないかな。。。

兄弟弟子が亡くなって全く何も感じないなんて事はないと思う。


森厩舎にはもう一度輝きを取り戻してもらって

育てた弟子で大きなレースを勝ってほしいと願っています。


鍛えなければ最強馬はつくれない。

だけど、それよりももっと大事なのは『愛情』ね♪

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