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2017/09/04 06:00
ちょっと前だけど 水沢の雄メイセイオペラの記念碑が建立されたとかって話
◆メイセイオペラ (Meisei Opera)
馬名由来:冠名+父名の一部(日本語+英語)
生年月日:1994年6月6日
没年月日:2016年7月1日(22歳没)
性別:牡
毛色:栗毛
父:グランドオペラ
母:テラミス
母父:タクラマカン
馬主:(有)明正商事
調教師:佐々木修一(水沢)
生産:高橋啓(沙流郡)
騎手:阿部英俊→佐藤雅彦→渡邉正彦→菅原勲
戦績:35戦23勝[23-2-2-8]
獲得賞金:494,985,000円
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メイセイオペラで真っ先に思い出されるのは
勝利したフェブラリーステークスよりも
4着に敗れた翌年のレース。
このレースは、主戦騎手だった菅原師も
「未だに悔しい想いがある」と語られたそうで
ファンにとっても、陣営にとっても
凄く印象に残ったレースだったんじゃないかな。
わたしにとっての『メイセイオペラ』は
最初の認識自体が1999年のフェブラリーステークスだったから
もう充分スターダムにのし上がってからの話なわけで
その当時 中央 > 地方 の認識がやっぱり強かったし
そもそもあまり興味が無かった。
それでも、岩手競馬を愛してやまない
ふじポンさんや井上オークスさんが
「当時は競馬をまだみていなかった」
って仰っていたから・・・
競馬歴長いわたしww
・・・と改めて思った(笑)
マスコミは『アブクマ、メイセイライバル対決』
なんて持ち上げていたけれど
当の陣営は「“向こう”はライバルだって思ってないよ 笑」
と言っていたのだそう。
事実、
対戦成績はほぼ完敗。
97年のオールカマーで
ポーロはメジロドーベルに惨敗を喫したけれど
ダートに戻った東海ウインターSで着差以上に強い内容で快勝。
メイセイオペラに先駆けて
JRAの重賞を制覇したポーロは
わたしの中で『現役ダートで一番強い馬』と言う認識に。
なんといっても、当時保育園か小学1年だったから
色々な知識もあるわけでも無いので
単純に好きか嫌いかの順序分けなんだろうけどw
オペラが制覇したフェブラリーステークスの展望だかで
初めて『ポーロを負かしたメイセイオペラ』
と言う存在を知る。
この時はまだ「どうせマグレでしょ?」
ぐらいにしか思ってなかった記憶。
でも、フェブラリーの結果は周知の事実。
やたらと”持ち上げられる”オペラよりも、
大好きなキョウエイマーチを
ひたすら応援していたけどね。
正直、ポーロとオペラが
”ライバル”って言う認識が少なくとも私の中では無い。
それくらい、私にとってポーロとオペラには能力差がある認識。
親戚勢の“洗脳”の影響も多々あるけど(笑)
でも、20年くらいの年月を経て
雄姿を語られる方は歴然と差が出た。
先日船橋競馬で行われたアブクマポーロメモリアルは
特にマスコミに取り上げられることもなく
場内スタンドにポーロの小さなパネルが飾られているだけだった。
同じ船橋で活躍したフリオーソが
レジェンドカップとして準重賞になっているのとは
扱いが全く違っていて、とても驚く。
対して、オペラの方は
第二の故郷と言える水沢に記念碑を飾られ
在りし日の栄光を称えられている。
しかも、発起人はオペラの現役当時を知らない人でもある。
振り返ってみれば、オペラには
人を惹きつける何かがあるのだと思う。
私にとっても、勝ったフェブラリーSより
負けた翌年の方が記憶にあるのは
気付けばオペラを必死に応援していて、
負けたのがとても悔しかったから。
もちろん、今では大好きな一頭。
オペラの記念碑除幕式でオーナーさんや菅原先生
担当厩務員だった柴田さんを始めとした関係者の方々に
実際お会いしてみて、とても温かい気持ちになった。
名伯楽と言われる角居先生が
「馬づくりは人づくり」と仰っているけれど
やっぱり馬を支える人ってホントに重要。
こういう愛情深い方々と
大きな仕事をやってのけたのだと思うと納得。
亡くなったオーナーさんや佐々木先生も
ステキな人だったのだと思う。
今思い返せば、
わたしの地方好きのきっかけの一つは
アブクマメイセイの時代。
オペラは私にとっても
大切な思い出に刻まれている。
これからもメイセイオペラが水沢の英雄として
在りし日の姿が伝えられていく事を心から祈っています。