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2019/05/12 16:30

屋島城(やしまのき)に行ってきた☆ 去年の夏だけど...

現在の神戸:一の谷・鵯越の逆落とし(?)の次の巻♪


源平合戦古戦場で有名なところと言えば

『那須与一(なすの よいち) 扇の的』のエピソードでお馴染みの

屋島古戦場。


ちなみに、一の谷の日記もあるにはあるので興味ある方はどうぞ(笑)

↓↓のURLで〜す☆

https://user.sp.findfriends.jp/?pid=owner_diary&post_id=1346647


最初あんまり興味なかったんだけど

名馬・太夫黒のお墓があると聞き、馬好きとしては

行くしかないと思って行ってきた♪


【太夫黒(たゆうぐろ)】

詳しい説明は↓
http://umatohito.com/history/2012-11-12-288.html

要約すると・・・

平安時代末期の英雄・源義経さんの愛馬の一頭。
一の谷の逆落としのエピソードでのパートナーでもあり
名馬の産地、奥州産で元の名前は「薄墨(うすずみ)」。

義経さんが打倒平家で挙兵するときに平泉に居た為、そこのお殿様から
贈られた馬。黒い馬は高級な贈答用だったとか。

太夫黒は義経の忠臣で屋島で殉死した佐藤次信さんへの
手向けとしてお寺に寄進され、そこで大事にされたけど
最後は佐藤次信さんのお墓に寄り添うように亡くなった・・・と。

寄り添うように亡くなったというのが何とも泣けてきます。

ちなみに、『太夫黒』と言うのは義経さんの朝廷から授かった
検非違使少尉判官(けびいし しょうい ほうがん)の別称が「太夫(たゆう)」。
『太夫さんの黒い毛の馬』と言うような意味だとか。

佐藤次信と言う人は良く解らなかったけど
ここ、屋島で戦死した人。
多分。。。本当は『継』が正しい漢字なのかな??



そもそも、、、弁慶くらいしか家来がわからないっ><


そういえば

小学生の頃、弁慶の立ち往生を真似てる男の子がいたっけ(笑)




えー・・・


話を戻して、佐藤次信は伝承では

平家方の武将が義経目掛けて放った矢の身代わりとなって

殉死したと伝わっている人なのだとか。

弟の佐藤忠信(ただのぶ)と共に義経を支えた忠臣中の忠臣。


戦死とか殉死って言葉にするのは簡単だけど

良い悪いは抜きにして、真似できない話。

でも、命を懸けてでも守りたい主人に出会えるって言うのは

ある意味で幸せな事なんじゃないかと個人的には思う。


四国の殿様&お馬さんエピソードと言えば

・長宗我部元親の愛馬『内記黒』
・山内一豊&千代『伝・太田黒』

なんかも旅行先で聞いたっけ。

四国の人と馬が蜜月な関係だったと感じるし

馬も歴史的に大切にされてきたのだと思う。


で、肝心の屋島。


お城は屋島城と書いて「やしまのき」と読む。

源平合戦時築城のお城ではなく、天智天皇の時代。

白村江の戦いで大敗した事が契機で防御用に建てられたもの。

西暦にすると667年ごろだとか。


素人的には。。。

単純にすっごく綺麗な景色が見えてとても爽快♪

1000年くらい前に大戦があったとは思えない絶景だった。


そう言えば、屋島の合戦はいつだったっけ?

(というより、元々知らない アハッ(´▽`*)、)


西暦1185年3月22日ね。

今から834年前かぁ。。。


那須与一『扇の的』のエピソードも

眉唾とかなんとか聞くけれど

そんな神話的な話でも信じたくなるような素敵な場所。


そう言えば、

『鬼ヶ島』のモデルと伝わる所も見えたっけ。

もーもたろさんももたろさんもここら辺の人って事??


源平合戦と言えば屋島の次は壇ノ浦。


丁度元号が変わったのを機に

天皇のルーツの一人・安徳天皇が亡くなったと伝わる場所へ

行ってみるのも良いかもしれないねー。

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