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2019/11/06 13:00

誇り高き甲斐・武田武士

以前、このサイトで

『先祖』の

やり取りをしていた時に


父方の母系統の

苗字を伝えたところ


戦国時代で言うと

有名な“武田信玄”公の家臣であり


「しかもかなりの重臣だよ!」
 

と、教えてもらった。

その事が印象に残っていたので 


先日、父の命日に

親戚が集まったのもあり

聞いてみる事にした。


武士が先祖と言うのは

悪い事を一杯しているイメージがあり

正直、複雑な想いも。。。


同じ有名なら  

人助けを沢山してそうな

医師の曲直瀬道三の方が

うれしいたけw


改めて聞くと、

やっぱり“その”武田武士が

ご先祖様みたい。


親戚のうちの一人は

悪名高い元総理(故人)

だ、とも教えてもらった。


それでその人は・・・

『昌続(次)』と言う名前で

甲斐武田家譜代の家老一族であり

武田二十四将の一人。


少年期には


真田信繁(幸村で有名)の父、

昌幸らと共に

信玄公のお側に仕えた小姓。


『奥近習六人衆(将来の幹部候補)』

の筆頭。


思ってたよりもすごいw

・・・名前も 

全然知らない人だったけど。


成人(元服?)してからは

重臣としてお側に仕え、活躍。


でも彼は結局


あの『長篠合戦』で

織田・徳川連合軍と戦い

最期は銃弾に撃たれ

武田武士らしく華々しく戦死した。


現地にお墓か

供養塔があるのだとか。


兄弟の一人、昌恒は

戦国大名・武田家が滅びる最期まで

勝頼公とその家族に従った。

・・・らしい。


Wikiにもその人が

載ってたので一応信じてみると


天目山で

『勝頼公が自害する為に時間を稼いだ』

・・・と書いてある。


どれくらいの人なのかは

私には正直よくわからない・・・


けど、裏切りが当たり前。

そんな世の中で


最後まで忠義を貫くのが

珍しくも素晴らしかった

と言うことはわかる。 


武田武士はとにかく

とても×2

戦死者が多いのが特徴。


雑兵ならまだしも


ここまで多くの

大将首がとられる大名は

他には見当たらない位に。


それだけ聞くと

「さほど強くないのでは?」

と疑問が沸く。


でも、違う。


武田武士の強さの源は  

(特に信玄公の在時期)


山間部と言う立地条件の

厳しい環境が生み出す

物理的な強さも勿論だけど


一番は『忠義心』


大将クラスは基本

陣形の後ろにいるから

一番速く逃げられる。


将棋で言うと

“王”の位置、最後方。


その彼らが命を落とすのは

よほど珍しい。


信玄公のために大将らが

忠義を尽くし、死に物狂いで戦い

ピンチの時には自ら盾となって

信玄公、勝頼公を守る。逃がす。


多くの戦死者を出す理由は

ここにある。 


大概は一目散に逃げる。

それが普通で

ある意味武田武士はクレイジー(笑)


褒め言葉。
 


世界史と日本史を研究している

有名な教授が言っていた。


どの世界、いつの時代の戦上手を

見渡しても信玄、謙信ほど

戦略、戦術に長ける人は居ない。


この二人が

同じ時代、同じ地域に居たのが

信じられないと。


『戦』(いくさ)に関しては

世界史でも有数のすごい人。

そう思って大袈裟でないかもしれない。


織田信長公が恐れ

徳川家康公が尊敬していた

と伝わる信玄公。


そのお側に仕えていた

と言うのは、  

少しは自慢できるのかもしれない。


まあ、でも

直系のご先祖様じゃないけどね〜


ちなみに直系は

『忠臣蔵』で有名なあの人の

ルーツと同じ。


私の知っているご先祖様は

自害や戦死、打首など

悲劇的な死が多い(ToT)


忠臣が多いからだと

思うことにしま〜す♪

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