66件のひとこと日記があります。
2015/03/08 20:07
競馬との出会い〜第50回日本ダービー
競馬とほぼ無縁な家庭に生まれ育った私が、なぜ競馬にこれほどはまり込んだかについて、いささかミーハーな理由ではあるが、恥を忍んで書いてみたい。
1983年、当時10代だった私は近所の郵便局へ手紙を出すために切手を買いに行った。
当時封書の基本料金は60円だったので、窓口では当然のごとく通常の60円切手(釣鐘のデザインだった)を出してくるものと思っていた。
しかし窓口で渡されたのは記念切手だった。
まじまじと眺めてみると、馬が描かれていて、その下に「第50回日本ダービー記念」とあった。
競馬について無知とはいえ、ダービーが競馬の名誉あるレースであることは知っていたから、それが今年でちょうど50回なのか、ならばどんな馬が勝つのだろう、それで日曜日にテレビで親の目を盗んで競馬中継を見てみることにした。
当時のフジテレビ系競馬中継の司会者は広川太一郎氏で、アシスタントがまだ駆け出しの頃の鈴木淑子さんだった。
解説者はもちろん大川慶次郎氏。
しかしまだこの「おじさん」が、競馬界において大変大きな存在であるということは知る由もない。
1番人気は、ミスターシービーという馬らしい。
パドックが映し出されると、鞍の上に「ミスターシービー」という看板を載せた黒い馬が悠々と歩いてくる。
思わず見惚れた。
その後に残っている記憶は、すでにダービーのスタートが切られたときである。
あの「黒い馬」は、一番後ろにつけて走っている。
大丈夫なのか、こんなところから届くのか、とひやひやしながら見ていた。
しかし4コーナーから、「黒い馬」はぐんぐんと脚を伸ばしてくる。
他の馬などお構いなしに突っ込んでくる。
実況アナウンサーが必死に「ミスターシービー!ミスターシービー!」と叫ぶ。
「黒い馬」は、追いすがる馬を振り切って、一番最初にゴールインした。
「ミスターシービーから、ミスターサラブレッドへ」。
ゴール後にアナウンサーがそう言ったのを、はっきり覚えている。
競馬って、こんなにスリリングで、楽しいものなのか。
私はいっぺんで競馬の虜になった。
全てはシービーから始まった。
そして、三冠を達成したシービーが、カツラギエースやシンボリルドルフの後塵を拝するのを見て、競馬のむずかしさ、儚さをも知ることとなる。
因みに件の切手だが、1枚だけ今でも手許にある。
描かれている馬は、前年のダービー馬バンブーアトラスだということである。
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らすかるすずかさん
フーテンのトラさん、初めまして。
コメントありがとうございます。
あのころに馬券が買えた方が羨ましいです。
『優駿』というと、井崎脩五郎氏が「ダービー馬を探せ!」という企画で早くからシービーを指名していたんですよね。
藤野氏といい、慧眼恐るべしといったところです。
千明牧場さんは、歴史あるオーナーブリーダーで、もともと群馬が本拠地でしたね。
ミスターシービーの馬主名義が「丸沼温泉ホテル」となっているのが、当時不思議に思えたものです。
吉永正人騎手は、寺山修司の愛した個性派でした。
寺山が亡くなったのがこの83年の春だったというのも、皮肉なように思います。 -
フーテンのトラさん
当時すでに馬にはまっていた私は入社2年目でした。
優駿誌で藤野コウイチロウさんの今年のダービー馬
の連載がされておりました。当てられるような企画では
とてもありません。しかしトウショウボーイ*シービークイン
の仔ミスターシービーをずばり最初から指名しておりました。
今の社台Gでもない馬をよく見抜いたとの驚きはいまも痛切に感じます。
ジョッキーの吉永正人も超一流とは言い難く。藤野さん振り上げた
刀どう収めるのか興味深々でした。おまけに3冠まで・・
CB=尾瀬のホテルオーナーの千明(ちぎら)牧場の産駒でした。
牧場は日高でしたが・・・ -
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