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2016/10/30 12:49

思い出の天皇賞・秋(3200m限定)

天皇賞・秋が2000mになって早や32年。東京はすでに3200mの設定がなくなっており(ダイヤモンドSは3400m)もはや3200mの秋天は昭和の伝説、いや「なかったこと」にされている?

例によって初めてリアルタイムで見た70年から。この年はアカネテンリュウのためのレースと見られていたが、スローペースにはまり3着止まり。しかも勝ったのがメジロアサマだったからさあ大変。「パーソロンの仔に天皇賞を勝たれるなんて…」と当時のオールドファンのお怒りは相当なものだった。ルドルフが三冠を取る14年前、アサマの孫が天皇賞親子三代制覇を成し遂げる21年前の話である。
すでに翌年からの距離短縮が決定した状況で行われた83年。勝ったキョウエイプロミスは次走JCで当時日本馬最高の2着に食い込み「最後の2マイル王」としての意地を見せてくれた。2着が70年代に一世を風靡したステイヤー血統・インディアナの仔だったのも感慨深いものがあった。
「関西ナショナリスト」の私は、関西馬が東京の天皇賞を勝つのが無上の喜びだった。したがってトウメイヤマニンウエーブタニノチカラの3連勝やテンメイの親子制覇は嬉しかったし、ずっと応援していたホウシュウエイトが負けた時(74年)は心底落ち込んだ。ただホクトボーイが勝った時は、トウショウボーイグリーングラスが意地の張り合いで共倒れになったことが残念だった。この2頭にはきっちりワンツーを決めて、待ち受けるテンポイントと有馬記念で雌雄を決してほしかった。「関西ナショナリスト」の私にとってもTとGは別格であったと同時に、今のテンポイントには完調でぶつかってこないと勝てないぞ、という謎の上から目線でもあった(笑)。

距離短縮にあたっては反対論もかなり強硬で、JRAも半ば強引に押し切ったことが当時の報道からも見て取れる。個人的には3200mの天皇賞は京都も東京も好きだったので短縮は残念だったが、「まあ仕方ないか」というのが率直な感想だった。ただあのコース形態が…。もう慣れたというか、あきらめたけどね。

今年はいろいろなカテゴリーから猛者が集まってなかなかのメンバー。全馬が無事に能力を発揮して、何が勝っても後味のいいレースになることを望みたい。

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