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2016/11/13 08:50
思い出のエリザベス女王杯
牡馬より牝馬のほうがレベルが高い、とされる世代は時々あるが、個人的には77年クラシック組が一番印象深い。
実際にこの年はダービー(ラッキールーラ)よりオークス(リニアクイン)のほうが勝ち時計が早く、リニアクインがダービーに出ていたらとさんざん言われており、両陣営の関係者はさぞうんざりしたことだろう。
その図式は秋を迎えても変わらず、神戸新聞杯でアイノクレスピン、リニアクインがワンツーを決め、アイノクレスピンがマイルの日本レコードを更新(直後にトウショウボーイが再更新)するなど「この世代は牝馬」という評価は揺るぎないものとなった。
迎えたエリザベス女王杯は9頭立てで関東馬の参戦はなし。樫の女王リニアクインと、オークス2着で充実度では一番のアイノクレスピンの一騎打ちとも、桜花賞馬インターグロリアを加えた三強とも言われていたが、個人的には当時悪友たちとやっていたPOGで指名していたバンブトンルシアに注目していた。(指名当時まだ高校生だったのは内緒ですよ)
レースは3-4コーナーでアイノ、バンブトンに外からリニアが加わって先頭を争う中、インで足を溜めていた福永洋一のインターグロリアが直線スルスルと脚を伸ばし一気に決着をつけた。杉本アナの「内からインターグロリア、こわいこわい福永洋一」「これはうまく乗った! まんまとして天才にやられました!」という実況は今も耳に残っている。
インターグロリアは翌年の有馬記念で2着するなど「牝馬の世代」を証明する活躍を見せたが、リニアクインは4歳春の京都記念を最後にターフに戻れず、アイノクレスピンは5歳秋まで走り続けたが3歳秋の輝きは取り戻せなかった。
三強は繁殖牝馬として成功したとは言い難く。アイノ、リニアの直系はもはや途絶えてしまった。インターグロリアもキョウエイアンを通じてかろうじてつながっている状況だが、パストラルが初勝利をあげるなど活力は失われていないようなのでこれからも見守っていきたい。