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2016/12/25 07:00

思い出の有馬記念

1969年12月21日。たまたま合わせたチャンネルでやっていた第14回有馬記念の実況中継。鳥居アナの流れるような実況に乗せて進み、スピードシンボリアカネテンリュウの火の出るような叩き合いで終わったレースを、当時小五の私は確かに目撃した。これが私と競馬の最初のかかわりだった。
このレースを見て大興奮し即競馬にのめり込んだわけではないが、原点がここにあるのは間違いない。

当時はなんの予備知識もなかったのでただ「見た」だけだった。だが後に競馬について知れば知るほどすごいレースだったのだということを再認識させられ、そのたびに「ああ、あの時見ておいて良かった」と幸運に感謝する。この第14回有馬記念はそんなレースだった。

まずメンバーがすごい。
その年のダービー馬、菊花賞馬、秋の天皇賞馬。
前年覇者(二年前の皐月賞馬)。
前年の皐月賞馬。
前年秋の天皇賞馬(二年前の菊花賞馬)。
牡馬が出られる大レースが年間6つしかない時代に、3世代のクラシックホースを始め7頭のタイトルホルダーが集結。前後の数年と比べてもメンバーレベルは突出している。今年にあてはめればドゥラメンテモーリスマカヒキサトノダイヤモンドイスラボニータゴールドアクターラブリーデイが一堂に会したようなものである。

そして特筆すべきはなんといってもスピードシンボリの存在である。
この時点で旧7歳の暮れ。海外遠征の疲れを案じられ6番人気だったが、三世代下の菊花賞馬を競り落とした。
残念ながら海外遠征には間に合わなかったが、競馬ファンになったのがこの馬の現役時代であったのは私にとって最大の幸運であり、ある意味不幸でもあった。
クラシック三冠を完走。旧5歳春に天皇賞制覇。5,7歳時に海外遠征(7歳時は長期に渡って欧州を転戦)。7、8歳での有馬記念連覇。旧8歳いっぱいまで走り通算成績43戦17勝。こんな馬を最初に知ってしまって、次世代の名馬たちにどう接しろというのか?
ハイセイコータケホープトウショウボーイもまだ走れるのになぜ5歳で引退してしまうのか。なぜ海外に行かないのか。名馬が余力を残しつつ引退するたびに何かモヤモヤしたものを感じていた。結局スピードシンボリのほうが特殊、異質だったのだということに気づくのに数年かかった。
浅田次郎氏が「優駿」に寄せたコメントが私の心情を代弁してくれている。

これからも私はリアルタイムではレースを3回しか見ていないのに「スピードシンボリを知っている」ことをことあることにひけらかし、うっとうしがられるだろうが(笑)、若い競馬ファンには一人でも多くスピードシンボリのことを知ってほしい。かつてはこんな名馬がいたのである。

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