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2017/02/12 11:01
思い出の共同通信杯(…の前身)その2
共同通信杯(東京4歳S)といえば82年も忘れることはできない。
その前年(81年)、例によって関西馬はクラシック三冠で完膚なきまでに叩きのめされた。馬券の対象になったのはロングミラー(皐月賞2着)とロングイーグル(菊花賞3着)のみという体たらく。
救世主になりうる存在として登場したのが爆発的な追い込みでデビュー2戦目から4連勝したサルノキングだった。父テュデナム、母シギサン。カブラヤオーやダイタクヘリオスなど異常な名馬を出す母系の出である。
サルノキングは東京4歳Sを目指して美浦入りしたが、その巨体と仕上がり途上ゆえの緩慢に見える動きから、口さがない関東の関係者から「ブタノキング」「ゾウノキング」と陰口をたたかれていたという。
しかしサルノキングは力で雑音を封じてみせた。ひっかかって4コーナー手前で先頭に立つと長い直線をそのまま押し切ってしまう破天荒な勝ちっぷり。大川アナの「東京競馬場は何ともいえないどよめき!」という実況も心地よく、関西ファンとして溜飲の下がる思いだった。
続く弥生賞も同じようなレースで快勝し、サルノキングは押しも押されぬクラシックの主役となった。この時勝負服が変わっていて「あれ?」と思ったのだが特に深くは考えなかった。
ここから先は筆が重い。すべては次走スプリングSで暗転し取り返しのつかない事態となった。
サルノキング名誉回復委員会会長(自称)として、これだけは声を大にして言いたい。
サルノキングはレース中に重度の骨折(結局復帰できなかった)を負いながら鞍上の指示に従って一生懸命走った。なのにあの騒動は「サルノキング逆噴射事件」と呼ばれている。まるで八百長の片棒を担いだかのような扱いではないか。あの騒動の最大の被害者が誰かは明白である。サルノキングが不憫でならない。
ついでに言えばあのレースは八百長でもなんでもない。強いていえば田原の自信(過信?)が招いた騎乗ミスである。
ダービーはバンブーアトラスがレコードで快勝した。しかし私の目にはその一馬身先を遊びながら走っているサルノキングの姿が見えていた。