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2017/02/26 11:24
思い出の阪急杯
きさらぎ賞に続いてまたもやニルキングの登場である。個人的趣味なのでご容赦願いたい。
スプリングSの追い切りで骨折したニルキングはクラシック出走の夢叶わず失意のうちに帰栗。手術を受け療養生活に入った。いつ復帰するのかやきもきしながら待つこと11ヶ月。ターフに姿を見せたのは翌年2月21日のオープン戦だった。
「九州産の星」の復帰は注目を集めており、追い切り翌日のスポーツ紙の紙面には平場オープンにもかかわらず「復帰ニルキングまだ太目」という大見出しが載っていた。
復帰戦は見せ場なく8頭立て7着。勝ったのはかつてデイリー杯で3着に沈めたロングホーク。この時点でロングホークは西の古馬陣の総大将であり、1年半の歳月は2頭の立場を逆転させていた。
当然叩いての良化を期待したが、その後のレースでも見どころのない敗戦を重ね「所詮は早熟の九州産馬」との見方が定着。マスコミやファンの話題になることもなくなっていった。
オーナーの服部文男氏によると、骨折手術後のケアが悪く競走能力に影響を及ぼしたらしいが、当時はそのようなことを知る由もなく、いつしか出走しても手に汗を握り応援することもなくなってしまった。
そして迎えたのが1976年6月13日の第20回阪急杯(当時は1600m)。クラシックの登竜門きさらぎ賞で2番人気に推された馬が今回は15頭立て13番人気。
もはやあきらめの境地で肩の力を抜いてダイジェストを見たが、この日のニルキングはこれまでと少し違った「やる気」を見せ、3コーナーからポジションを上げていった。結局直線で馬群に飲み込まれ11着に終わったが、杉本アナの「外からあのニルキングが追い上げてきた!」という実況が競走馬ニルキングの花道だったのかもしれない。
ニルキングはその後障害で6戦1勝の成績を残し引退。ニルキングオーの名で種牡馬となったが1年で用途変更。服部氏によると金沢のほうから乗馬の口がかかったので送り出したとのことであるが、その後の消息については触れられていない。
贔屓の厩舎で、九州産馬で、クラシックの夢を見せてくれた。一生忘れることはないだろう。