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2017/05/28 08:42
思い出のダービー(1971年)その2
1971年のダービーは勢力図も刻々と変わっていった。
関東ではエース格が
オンワードガイ(朝日杯覇者) →一頓挫あり皐月賞断念
ヤシマライデン(京成杯、東京4歳S連勝) →皐月賞1番人気も敗退し失速
メジロゲッコウ(弥生賞、スプリングS連勝)→皐月賞5着後故障
と変遷し
結局ダービーでは皐月賞不出走でNHK杯2着のダコタが総大将となった。ダコタは「シチー」でお馴染みの友駿HCの馬だが、当時は同馬の他「シカゴ」など地名そのものを馬名にしていた。「シチー」がつくのはテキサスシチーあたりからと記憶している。
関西では2歳王者ロングワンがきさらぎ賞でヒカルイマイに敗れ政権交代(ロングワンはその後故障し戦線離脱)。ただ皐月賞での人気は武田文厩舎の秘蔵っ子フイドール(シンザン記念)のほうが上で、ヒカルイマイは4番人気に甘んじたが、直線一気に差し切って優勝。続くNHK杯もダコタを競り落として連勝を飾りダービーを迎えた。
他の関西勢は
毎日杯を勝った二ホンピロムーテー(まだ本格化前で参加するだけに終わる)
杉本アナが必ず「ヒンドスタンミスケイコ」と父母の名前とセットにして紹介していた皐月賞3着のヒデチカラ
2歳時からロングワンのライバルとして活躍し、距離を不安視されながらも2000mの京都4歳特別を逃げ切って参戦してきたシバクサ
私はそのシバクサを差し切ったレースが印象的だった福永洋一騎手騎乗のエリモガルフを応援していた。
ヒカルイマイは私にとって、無敵と信じていたロングワンを負かしたいわば「敵役」であり、関西馬なので応援はしていたが正直入れ込むほどではなかった。
迎えたダービーの1番人気はダコタ。ヒカルイマイにサラ系、追い込み脚質、田島良保がダービー初騎乗と嫌われる要素があったにしても考えられない人気である。
当時の私はそのようなことを考える余裕もなく、ワクワクドキドキしながら初めて体験するダービーのスタートを待っていた。
結果はヒカルイマイが常識はずれの追い込みを決め、田島騎手の名言「僕はダービーに乗ったんじゃない」が生まれた。一方ダコタは惨敗。「ダコタはどこだ」の名言?が生まれた。ダコタは結局重賞に手が届かぬままターフを去った。
1968年生まれの世代で古馬の大レースを勝ったのはベルワイド(72年天皇賞・春)のみ。翌年には一歳下の「最強世代」に飲み込まれ存在感を示せなかった。ヒカルイマイや二ホンピロムーテーが健在だったら…と言いたいところだがこればかりは仕方がない。
ヒカルイマイが一個の物語として取り上げられることはあっても世代自体に光があたることはまずないが、初めて2歳戦から見た非常に愛着があるこの世代は、ダービーの思い出とともに私の中で永遠に色褪せることはない。