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2017/06/25 11:06

思い出の宝塚記念2(1981年)

81年の宝塚記念は個性的なメンバーがそれぞれ実力を発揮したいいレースだった。レース後はまるで一本のいい映画を見たような余韻に浸ったものだ。

カツラノハイセイコカツアールの第二ラウンドも興味津々だったが、米バドワイザーミリオンへの出走話が持ち上がっていたハギノトップレディが映画に例えるなら主演女優だった。
千両役者を得て杉本節も絶好調
スタート直後先頭に立つと「果たして今日はどんな舞いをみせるか」
快調に飛ばして3コーナーを迎えると「アーリントンへ夢を架けるか」
結果はカツアール天皇賞・春の雪辱を果たし優勝。行き足がつかず後方追走のカツラノハイセイコが底力を見せ2着。ハギノトップレディは逃げに逃げてスタンドを沸かせたがゴール寸前牡馬3頭に捕まり4着。遠征は立ち消えとなった。

レースを盛り上げた名優たちのその後は…
カツラノハイセイコはこれが最後のレースになり、ハギノトップレディは続く高松宮杯を楽勝し、巴賞で伝説のマッチレースを制したが毎日王冠で惨敗するとスパッと引退し繁殖入りした。
1頭残されたカツアールカツラノハイセイコ引退後も関西代表として大レースに挑み続けた。当時関西の古馬長距離陣は壊滅状態であり、東海公営出身のヒカリデユールが現れるまではまさに孤軍奮闘だった。「関西の一番手はカツアール」とされながら実際はほぼ無視される現実は関西ファンとして耐え難いことだったが、カツアールがいなかったらと思うとゾッとする。
そのヒカリデユールも83年天皇賞・春で故障し実働半年で競走生命を絶たれてしまったが、カツアールはそのレースで10番人気ながら3着し最後の意地を見せてくれた。

関西ナショナリストとしてはカツアールの競走成績表は涙なくして見ることはできない。栗東の関係者様におかれましてはそんな時代が二度と来ないよう肝に銘じて日々精進していただきたいと切にお願いするばかりである。

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