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135件のひとこと日記があります。

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2018/03/11 09:54

アネモネS〜ダンツセントーのこと〜

1992年アネモネS優勝馬ダンツセントーについてはあちこちで書き散らかしてきたが、一度まとめておきたい。

デビューが定番の九州産限定新馬戦(小倉)ではなく札幌で、限定戦に出たのがアネモネS直前の特別戦(現在は廃止)だけ、さらに父がリードワンダーということもあり、この段階でダンツセントーが九州産という認識はなかった。

この馬に興味を持ったのは、アネモネSの数日後にこの馬の母系に触れたスポーツ紙のコラムを読んでからで、あわてて調べて(当時はネットで検索できないので広報コーナー等で成績表にあたるしかなく結構大変だった)詳細な血統を見た時の衝撃は今も忘れられない。

母ニクサアクイン父ニクサー)から遡る母系に代々付けられた種牡馬がニルコステツノチカラ、ツバサ、アサフジ、ベーフライアー、サイクリスト。テツノチカラから先は見たことも聞いたこともない種牡馬だった。そして母系は1909年生の豪州産輸入牝馬「竹生島」にたどり着く。九州にこんな土着血統が生きていて、しかも桜花賞トライアルを勝つ馬を出したという事実を知って心底うれしかった。と同時に九州産が好きだと公言していた自分がこの「ザ・九州」とも言うべき血統を知らなかったことが恥ずかしかった。

母ニルコスクインは繁殖生活を北海道で送っており母ニクサアクインは九州産ではない。しかし現役を終えたニクサアクインは即鹿児島へ「里帰り」し、その後北海道でリードワンダーの種を宿し鹿児島で産み落としたのがダンツセントーだった。

ダンツセントーは牝馬三冠で6、14、18着の成績を残した後当時OP特別だったターコイズS2着から南関東に移籍し1戦して引退。その後種子島へ渡りサニースワローの牡馬を1頭産んだだけで死亡してしまった。竹生島系はダンツセントーの4代母の孫に67年に大井記念、東京杯を勝ったアオイライコーが出るなどそれなりに繁栄していたがダンツセントーが牝駒を残せなかった時点で途絶えてしまったようである。

九州馬産界で現存する最も古い土着牝系が何かはわからない。ひょっとするとニルキングを出したクインメリー系かもしれないが、こちらも滅亡寸前である。積極的な血の入れ替えや育成施設の充実を図れば九州から大物が出る可能性は残されている。だが古き良き牝系から活躍馬をという見果てぬ夢はもはやオールドファンの心の中にそっとしまっておくしかないのだろう。

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  • にるきんぐさん

    コメントありがとうございます。ダンツセントーの血統的背景を事前に知っていればアネモネSは狂喜乱舞ものだったのですが。スダピンボールさんがうらやましいです。

    2018/03/14 06:35 ブロック

  • スダピンボールさん

    本番で5番人気6着ってなかなかのものですよね。サンエイサンキュー、ディスコホールに先着ですから。

    当時15歳でしたが、「え、九州産馬って北海道産に勝てないって言われてるのに、何この馬の強さ」って思いました。

    2018/03/13 11:33 ブロック

  • スダピンボールさんがいいね!と言っています。

    2018/03/13 11:31 ブロック

  • T.OGINOさんがいいね!と言っています。

    2018/03/12 22:00 ブロック