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2018/03/18 12:13
阪神大賞典(88年)とマルブツファースト
70年代の阪神大賞典については昨年の日記で書いたようにそれぞれに語れる思い出があるが、続く80年代を振り返ることはイコール関西古馬暗黒時代を否応なく思い出してしまうことであり、正直つらいものがある。そんな閉塞感を打ち破り、今も続く「西高東低」時代の扉を開けたのがタマモクロスであったことは衆目の一致するところだろう。
そのタマモクロスがダイナカーペンターと1着を分け合った88年の阪神大賞典は連勝街道を突っ走るタマモクロスが最も苦戦したレースとして、あるいは重賞では珍しい1着同着が発生したレースとして多くのファンの記憶に残っているが、その2頭からマルブツファーストがハナ差で続き、ひょっとすると3頭1着同着になっていたかもしれなかったことを覚えている人は少ないだろう。
「マルブツ」は大澤毅氏の持ち馬につけられた冠名で、私が見始めた70年代初頭にはすでに関西を中心に多くの馬が走っていた馴染みの名前だった。大レースこそ勝てなかったがマルブツウイドー、マルブツウイナー、マルブツサーペン、マルブツスピーリア等のステークスウイナーを出し、マルブツファーストも翌89年に金鯱賞を勝っている。直接見てはいないが名古屋の怪物マルブツセカイオーもいた。
そんなマルブツの馬も2000年代に入るといつの間にか見かけなくなったしまった。個人馬主の場合、代がわりすると後継者の方が馬から一切手を引いてしまうことが少なくないのでマルブツもそうなのだろうと寂しい思いをししながらも納得していた。
ところが1月に中山で「マルブツインパルス」が新馬勝ちし、馬主を見ると「大澤利久」とある。「赤、水色一本輪、黄袖柄」の勝負服も毅氏と同じ。毅氏のご親族(ご子息?)が冠名を引き継いで馬主業を続行するのであれば非常にうれしい。私は別にマルブツの関係者でもないし、マルブツの馬がまた走り始めることで競馬界の何かが変わるわけでもない。でも無性にうれしいのである。