1980件のひとこと日記があります。
2016/08/07 18:26
夏休みの授業43
ほぼヨーロッパを制覇したナポレオンは1812年ロシア遠征に踏み切った。50万とも言われた軍隊がパリを後にした。ポーランドを経てナポレオン軍はロシアに進攻した。しかしロシアの国土は広い。戦端は各地に広がり、やがて武器・弾薬・食糧の補充も難しくなった。そこにロシアの厳しい寒さが襲いかかった。ナポレオンは撤退を決意し、パリへ戻った。その時の軍勢は、わずか5万であった。ナポレオンは生まれ故郷の地中海コルシカ島に流刑となった。後にチャイコフスキーは「序曲1812年」を作曲している。ナポレオンに打ち勝ったロシアを讃えた曲である。静かなロシアの大地にフランス国歌ラ・マルセイエーズが鳴り響くが、やがて雪が降り始め、フランス国歌は消えてゆき、最後はロシア国歌が大砲の音と教会の鐘の音を交え高らかに演奏される。YouTubeで、せひお聴きいただきたい。さて、コルシカ島に流されたナポレオン、ただでは、引っ込まなかった。ありがとうございました。
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ジャッキー&ロッキーさんがいいね!と言っています。
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しもつかれ1元さん
豊臣秀吉は国内戦の時は計算した戦いしたが、朝鮮出兵の時は勢い任せで行った感じです。ナポレオンはロシアの国土や極寒の寒さを、計算しなかったのでしょうか。秀吉と似た勢い任せでしょうか。
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しもつかれ1元さんがいいね!と言っています。
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そういえば、ナポレオンのロシア遠征時に馬に乗ってる肖像画2種類ありましたね。かっこよく描かれてる方が有名でありますが、もう一枚の絵の方が印象に残ります。
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