1980件のひとこと日記があります。
2016/08/25 19:41
夏休みの授業60
西南戦争が終わり、政府は殖産興業・富国強兵を掲げ近代化を進めた。しかし、治外法権・関税自主権の不平等は無くならなかった。理由は憲法を持たない国は国家として認めないという欧米諸国の考えだった。折しも、日本国内は自由民権運動の最中。政府は憲法を作るために伊藤博文らをヨーロッパに派遣した。伊藤博文が参考にしたのは、プロシアを中心に統一されたドイツの憲法だった。統一が遅れたドイツは、植民地獲得のために、首相ビスマルクが鉄血主義(強い武力で出遅れを解消する)を唱えていた。日本はドイツと同じ立場であった。これが、やがて日本の運命を変えることになるが、それは、もっと先のこと。朝ドラのナレーションみたいな形で今日の授業を終わる。ありがとうございました。
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熊本城を落とせぬまま、新政府軍の援軍がやってきた、薩軍は軍を再編成し立ち向かうことになる、その時大激戦になったのが、唯一大砲を通せる田原坂である。熊本民謡に田原坂という歌がある「雨は降る降る 陣羽は濡れる越すに越されぬ 田原坂右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手綱(たづな)馬上ゆたかな 美少年」その一文だが、この美少年は村田岩熊を歌っていると言われています^^この人は村田新八の子で、新八は西郷さんの右腕共頭脳共言われるひとで、何もなければ、大久保利通にも匹敵いや超えるような頭脳があり、その後の日本を背負って立っていたであろうと言われた人物である。西南戦争の時は薩軍二番隊指揮官であった。岩熊は田原坂の戦いでなくなっている。あ!!この田原坂の戦いでは少年の庄内藩士2人も薩軍につき亡くなっている、ちょうど薩摩藩に武術を習いに来ていた少年だった。
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父カネツクロス・・見たかった!さんがいいね!と言っています。
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まぁ憲法ない国は国じゃねぇ、いかにも傲慢な欧米の考えですな。なくても回していけると思うんですがね、結局無理に憲法作ったがためそれに合して政治行動行った結果、アメリカとの・・・。
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