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2018/02/20 02:31
進化論弾圧
人はおサルさんの亜種から進化した、みたいな記述したら、バッサリ削除されました。ルールなら仕方ありません。
特定の宗教が政治を支配している地域がある。例えば、アダムとイヴを神様が作ったという記述のある教典だったりする。その教義の否定の恐れがあり、故にそこではいまだダーウィンの学説を唱えるのも命がけだという問題がある。こうした極端な教典主義はアメリカ大陸の一部にも、中東の一部の国にも存在する。競馬開催国は大丈夫か。イエス、タカス?
それを思えば、言論の自由の素晴らしさに不満を持つのは非常に罰当たりな発想であり、抵触したならば我が不注意と肝に銘ずる。
しかし、宗教問題が身近になって笑えない。開示などヌルいレベル。だから宗教は無くすべきなのか、確かにそういう法律の国家も存在したことはした。が、近親婚を重ね過ぎた父系よりも早く衰退している。
例えば安田元騎手は宗教に救われ、騎手生活を生き長らえていたし、角井調教師のニュースもまた、責任感と世俗的な地位への執着からの離脱に見える。そういった教義が生活や人生に規律をもたらす意味でも、絶対悪と言い切るのは勧めない。
我が馬との接触も実は、ある坊主の推めがあってこそだった。
命がけと言えば、競走馬の仕事も四六時中生傷絶えず、骨折もある。もちろんShi人も出る。昨年か昨昨年か、ウォーエムブレム産駒G1ウィナーのゲート入りを巡る発走係の乱暴な措置について非難するのは、少なくとも我輩には忍びない。
そういう意味でもまた、前述の調教師免許返上も納得できる。
さて、競走馬がサラブレッドと呼ばれるまでの進化の過程で、やがて三大始祖が完成し、派生から速歩に特化したチャリオットレースのスタンダードブレッドや、一瞬のスピードだけならサラブレッドを上回るクォーターホースなどが現存する。
馬に宗教が存在し、バイアリータークは木の枝の間から生まれ、ダーレーアラビアンは彫刻作品に神が命を吹き込み、ゴドルフィンアラビアンは土から産み出されたという起源説を唱えだすのは、擬人化の極致と言えないか。
そして上半身だけが人類のケンタウルスも発生し、ついにはサルブレットという、騎手も不要な無敵の種族が生まれた。
奇蹄目でありながらパソコン操作も出来、恐らくネット競馬のどこかに漂っているかも知れない。もし出会ったなら、ブログを勧めつつインスタ映えしそうな住処を公開させるのも悪くない。
途中から作り話になったので、この辺りで終了します。
クッソ長い文章にお付き合い頂きありがとうございます。