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2021/09/28 22:38
馬産家マルセル・ブサイク
フランスの悪口書きまくって、そのついでに凱旋門賞ディスってたら、あるユーザーによる凱旋門賞楽しみとのコメントが投稿され、直後に書いてた文を投稿するとそのユーザーさんに喧嘩売ってる気がしてならないので、ボツに。
お前さんの意見と、わざと反対のことを書いて面白がるのを遊びとして認めろ、ただしお前さんは誰かがAを嫌だと言った直後にAは素晴らしいと言うのは思いやりが無いからやめろ。こういった一方通行の不条理を孕んだ言い付けを受けるのは程度の低い人間性であるから、悔しかったら努力しようと言われてた気がする。閑話休題。
このレースが世界的規模になったキーマンは、Marcel Boussacマルセル・ボゥサック。異論は認めざるを得ない。
〜せざるWar emblemという語尾は流行らんかな。
ところで、我輩がブサックとカタカナで書くと、ブサイク呼ばわりしてくる礼儀の無い奴と難癖付けられる、こんな滑稽な言い掛かりを大真面目な態度でされ、カタカナ表記変えたら、今度は誰なのかわからないとクレーム付けられる。こうしてどう対処しても、何やかんや文句言われる場面から、海を超える気が無くなり、フランスが遠く感じる訛りよ。
まあ飛行機飛ばすと燃料消費パネぇからグレタみたくヨットで行け言われて、今度の台風で時化にさらわれて風船おじさん同等の末路が目に見える。やはり我輩、変かな。
で、我が主観に基づき話を進めると、凱旋門賞が大きくなったきっかけは、そのブサイクと書き間違えそうなアパレルの巨人にして、世界的大オーナーさんが所有するTourbillonの2x2という、超近親交配馬Coronationがオークスか何かで負けた。
其の後の大レースが、当時の三歳牝馬には組まれてなかったので、その馬の血の価値を高めるにはいよいよ袋小路に行き詰まった。
そこで、凱旋門賞を大レースにしようと、賞金額増加を主催者周辺に働き掛け、そして前夜祭のおもてなしを始めたことで、海外からもそうそうたる面々が参戦し、国際Gワンの先駆け的なレースになったそうな。
賞金額急騰の一年目は、前述した有力オーナー所有の近交馬が勝利を収めた。
が、連覇ならず。翌年はメジロマックイーン半兄メジロデュレンの祖先Asterusに勝たれ、その後気性の悪さから勝てないレースが続いて引退。
しかし、その後の繁殖生活では、一頭も残せず、行方不明に。やっぱり島国と大陸では、家畜や哺乳類のペットの扱いが違う。
そして、そのへロド系名馬の名前が、今の世界を絶望に追い込んだウイルスのスペルと大差ないという。
その後のBoussac氏はアメリカからTeddy系を主体に大物種牡馬数頭輸入したものの、全て大失敗に終わり、やがて本業でも事業に失敗し、イスラム圏の富豪の手に渡ったらしい。
ただし、マルセルボゥサック賞など、レース名としてその名前は競馬の歴史に刻まれている。