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2017/01/23 06:30

競走馬の故障と偽善者

競走馬の故障

今日のAJCCでシングウィズジョイの痛ましい事故をみて改めて色々感じた。

マキャベリの言う【善行は悪行と同じくらい憎悪されることがある】という事実は理解出来る。
おそらく多くの人間が普遍的に持っている基本的な傾向なのだとも思う。

しかし、シングウィズジョイナムラビクターの死を悼み哀悼を表す多くのコメントに対し、偽善だと指摘する事に心血を注ぐ人間の多さには辟易とする。善意の純粋性を試す事に何の意味があるのか?

純粋な善意等元々存在しない。
そんな当たり前の常識が無いから偽善を許せないのであろう。
世の中は偽善だらけで各々の利害の外で偽善を叫ぶ事が人間なのだという当たり前の常識が無い馬鹿が不毛で意味の無い発言を繰り返す。

各々のプリンシプルが変化するということなのかなと思うが偽善批判者の非生産性に対する侮蔑が世の中共通の認識になれば良いなと感じる。

又、同時に感傷的な感情で事象の当事者を傷つける事と厭わない偽善者の発言にも辟易とする。
こちらも同じく偽善を正義だと勘違いし一方的な感情を撒き散らす事を正当化する。
これらの発言は当事者に向けられた質の悪い呪いとも言える。
偽善批判者に理解を示せば偽善により人が傷つけられる事を許せないという強い正義感から来るのであろう。

偽善を偽善だと正しく理解し、礼儀正しい社会になれば良いなと実現性の無い思いを抱いてしまった。

そんな無意味な話とは別に今週の福永騎手のコラムのテーマが、この事故を予見していたようで、騎手がどのような現実に向き合いながら騎乗しているのか改めて理解する必要があるように感じていた。

騎手は騎手の目線と裁量で多くの判断をする事は当たり前の話で、愛馬の命を守り自分の命を守る為の判断は当然の権利だと思う。
それを理解すると、横典の不可解な騎乗もなんとなく許せるような気もする。(実際は許せないんだろうけど。。)

競馬にはアクシデントはつきものでそこから身を守ることも名騎手として必要な能力。無事之名騎手ということなのだと改めて思う。

少し前にナムラビクターがレース中の不慮の事故で亡くなった。

中央で活躍した後に馬主が変更され門別へ移籍するも芳しい成績を残せぬまま船橋への転厩初戦。
向こう正面で発生した突然の事故だった。

元々パドックから歩様に違和感があったとの話もあったが経験の少ない期待の若手である中野省吾に責任を求める事も酷な話だとも思う。

あれだけ活躍した実力馬の晩年としてその転厩の変遷には謎が多い。
門別への売却以前より競争能力に影響を与える何らかの原因があったように思ってしまう。

2億4千万円以上もの賞金を獲得した名馬の最後があのような形で良いのか?
馬主としてその功労に感謝し売却ではなく引退で幕引きする事が何故できなかったのか?

偽善者の無配慮な放言と言うのであればその通りなのだとも思うが、競走馬の一生に関与しない無責任なファンとして様々な思いを抱いてしまっていた。

しかし、様々なルールの中で様々な関係者が様々な立場を持ち様々な思いの中で競馬に参加している事も多くの人と同じく理解している。

騎手は騎手の目線と立場で。
調教師は調教師の、馬主は馬主の、馬券師は馬券師の目線と立場で競馬に参加している。

唯一競走馬だけがそれら人間の作ったルールの中で翻弄される立場に居る。
その生命の誕生さえ競馬という仕組みに大きく関与を受けている。

競馬という人間が作ったルールに翻弄される競走馬のQOLが少しでも良いものになれば良いなと改めて単純に思う。

その為に偽善者は偽善者として留まるのではなくこれら不幸な事故を防ぐために必要なルール整備に対し多くの事を理解し建設的なアイディアを出してゆく必要を改めて感じた。

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    2017/02/01 09:57 ブロック