99件のひとこと日記があります。
2018/11/28 13:13
何もない
こだわりも目的も無い。
それはなんてつまらない、と少し前までならそう言えたものではなかったか?
人は28で脳の成長を止める、つまり好奇心の低下が始まるという学説もあるそうだが、なんとなくわかる。
これまでにも何度か経験してきたけれど、こうもコロンと心境が変わってしまっては何も語れることがなくなってしまう。
といっても、気が楽なわけでも無い。悩みは尽きないものだが、何をどうしたいのかはっきりしない日々が続く。
そんな日々であってもサラブレッドを眺める事が好きだと思えることに安堵する。好きだと感じられる瞬間があることは誰にとっても等しく素晴らしいことだ。その対象によっては、俗的な、下劣な目的や性質を持ったものもあろうが、そこに気づかないまま心酔する人であっても、それはそれでいいのでは無いかな、なんて思えてしまうほどに弱り切ってしまった。
なんて言えばいいかな、こだわりも目的も失った今を美化できる要因は何一つない、しようとも思わない。むしろ、それらに愚直なまでに素直な“若さ”というのかな、そういう純粋な熱みたいなものを客観的に見られるようになったのかもしれない。けど、それでさえ今だから見えるものなんて言い訳みたいに表現したくは無い。
なぜなら、今のままでいいと思えないから。
けど、昔に帰りたいとも全く思わない。また、新しいものとの出会いを待ち焦がれてるわけでも無い。ただただ、惰性に、その日、その時を浪費する、そんな人はやはりつまらない。つまらない今が思い出に変わる未来を想像できるわけがない。
そうだ。思い出という名の、あの時その時の輪郭がくっきり思い浮かぶ瞬間が近頃とても増えた。新しいことを求めず、古きに想いを寄せる。けれど帰りたいわけでも無い。そんな心境に名を与えるならなんと呼べばいいのか?
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アレキさんがファイト!と言っています。
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アレキさん
そんな時間もゆっくり楽しむといいと思いますよ。
必ずエネルギーが満ちるときはくる。
君も私も、考える人間は居てもたってもいられなくなるんだから。
今もそう、愚かにも(笑)そうして悩み、考えてしまっているのだから。
なあ?
古今東西、偉大な人物たちが、その人生、ずっと充ちていたとでも?
名前なんていらないよ! -
アレキさん
ペペロンジュースさんの場合はもっと高次な悩みでありましょう。
モーターは戻らない。時間もあの頃よりは少ない。
だが、今の能力で、できることがなくなったわけではないはずです。
高速モーターに喜々としてる若さをバカにする、ゆとりをバカにする、
そんなことに「年長者」としての力を使わないでいること。
これは現実は結構難しいのですが、ペペロンジュースさんはそれが容易にできてしまう悟性と才能を持っていると思う。
勿論、でない人を卑下して、ともに笑い過ごすこと(肉感)までバカにしては君の中から陰がなくなる。(陽だけの人間は陰だけの人間と同じくらい、世界を歪める問題児だもんね)まあ、その心配はしていない。
だからこそ(若さに対する無駄な嫉妬を無為に感じていられる)今の君には、他の人より時間が余って感じるのさ。 -
アレキさん
世の中には病んでいる人が増えましたね。彼らは無意識に縛られている。極論、借金は自己破産でゼロにできる。人の縁も切ることができる。海外に発って大きな赤ん坊(ステータスはチート!)でゼロから人生を再開することも可能だ。しかしそうしない。それはまだわかる。
そしてときに死を選ぶ人がいる。それは違う。そうなる妄想の前に、「善」「良心」だの、うさんくさい価値観はすべてバーっと投げ捨ててしまって、身軽になるべきだ。楽しむべきだ。
なぜって、それが「いい人」たちのためにと真面目に悩みすぎて死を選ぶ、その「いい人」たちが本当に望んでいること(生きていてほしい、それだけでいい)だからです。
死を選ぶ呪いをかけているのは決して善人ではない。
服を脱ぎ捨てて、武器を脱ぎ捨てて、自分の既得利益をかなぐりすてて、
看破しなければ、です。 -
アレキさん
陰は感情、陽は理知。人は悪にも善にも染まらない。そもそも宇宙にあるのは事実だけで、そんなファンタジーな価値観念はないからだ。
人を殺すやつが悪いわけではない。
平和を願う天使が良いわけではない。
ただそれでも、世界の顔色を伺わずに、自分自身はどうありたいかだ。
宇宙はただ、命の雫をおとす。
考えることができるのは人間だけだ。 -
アレキさん
あると思います。
礼を説く偉人はそれを弟子に説き、書に伝えようとした。
(我々は安易に考え、社会に求め合う。それは理性的で友好な社会を維持していくルールにはいい。しかし本質を理解していない人間の礼は時と場所を違えれば、すぐに崩れるはりぼてです…。例えば、匿名SNS時代がそれを証明している。)
それだけ難しいものであることを、孔子をはじめ、悟っていたのでしょう。
おおげさに言えば礼=他者理解は地球や宇宙への感謝にも、情けは人のためならずで自己の穏やかで健全な精神にも結ばれる。争いの糸をほどき、平和を結ぶ(願える)力であると思う。
暴力での正義実現は、一時は確かに正しいのだ。正しいが、必ず怨嗟と復讐を何世代にも渡って遺伝子に刻み、次の新しい正義を生む。正しい、一時は確かに「また正しい」“暴力”を。 -
アレキさん
つまり自分の人生時間もじつは均等ではないのだ。
モーターの回転数が平等時間のなかで高速から低速に逓減していくようなものと考えてはどうだろうか。若い頃の脳は我々の10年を1ヵ月で成し遂げている。脳の力が、現実にそうなのだ。
若い時代のフィルムは当然多くなる。しかし年齢には経験が付随する。忘れはしても大事なことは覚えている。人生の肝心要を天秤できる。より俯瞰的なのは今なのだ。
恐怖から若さを否定する声がある。なにも中高年に限った話ではなく、大学生が小学生以下幼児をなめてかかるのも同じ精神、理屈だ。
ジェネレーション、それぞれが持っている特別な力とは?
また、年齢を刻むごとに増す力とは?
人の持つ「そこ」に自身の悟性を通じて確かな想い「実感」を馳せられたとき、それはやがて(自己基準ではなく)ただすなおに万物、他人の人生それぞれへの敬意に置き変わる。
その感情が本当の「礼」であり「品」で -
アレキさん
ワタシ、脳の成長は25で止まると聞いたアルよ…。20代前半はカウントダウンしていた。25になった時には自分が終わったかのような気に…
ただ17-20の頃は感度が高すぎて脳に入ってくる情報量をコントロールできず(暴走的な笑)街をただ一人闊歩するだけでも秒刻み長編の映画を押し込んでくるかの世界で苦しみました。22の頃に凡人になって、25の頃に凡人以下になって、30で痴呆症を自覚して、40で漢字も思い出せなくなって、50で自分の名前すら忘れるのさ… -
その日暮らしさんがファイト!と言っています。
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停滞 でも後退じゃないよ決して