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2013/05/13 21:53
大井の名馬(テツノセンゴクオー〜大井競馬場の門番)
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『チョーノさん大井記念すね』
『質問だけど…キミはこれが無くちゃ絶対ダメってモノある?』
『ん〜〜〜〜』
『大井競馬場にも居たんだよ大井記念にもよく出てたなぁ』
『聞いて無視ですか?』
どんな人も…『これが無きゃ嫌だ』または『コイツが無いと始まらない』と言えるモノがあるはずです
テツノセンゴクオー大井競馬場に『無くてはならない馬』でした
クラシックを盛り上げたワケじゃない…中央馬を撃破した事も無い……ただ、交流で地方馬が全盛を極めた時代…常にその名を連ねる存在でした□
重賞勝ちはたったの2勝金盃・東京記念を制したモノコンサートボーイを抑えこんだ金盃などは実力の証明で、名前や黒く輝く馬体もあってか…そのイメージは『野武士』そのもの
時は交流戦が盛り上がりを見せ始めた90年代後半…自然とテツノセンゴクオーも第一線に仮たたれます
しかし元々がキレのあるタイプではないし、スタミナ勝負に向く馬だけに…アブクマポーロら南関の一線級や中央馬の瞬発力には敵いませんでした東京大賞典の4着
交流戦のみならず…大井の中長距離重賞には全て参加金盃・マイルグランプリ・大井記念・今は廃止された『グラチャン』ことグランドチャンピオン2000・東京記念…そこに帝王賞に大賞典タフネス
更にヤネも豪華で、重賞を制覇した高橋三郎から始まり内田博幸→張田京→的場文男→鷹見浩→森下博と…当時の第一線で活躍した騎手を、なにかリレーするように乗り替えて出走
自然と人気も出て、そのゴツい名前もあり『大井競馬場の門番』との異名がアブクマポーロやコンサートボーイもテツノセンゴクオーを破ってから出世したりテツノセンゴクオーと共に走る事で力を付けた
勝とうが負けようが、テツノセンゴクオーの名前デンマにあるだけでファンは安心する
『今年も出るかぁ〜頑張ってんな〜』
『センゴクオーが居なきゃ始まんねーからな』
怪我も無く…常に大井競馬場を盛り上げたテツノセンゴクオー□
しかし2000年に入り、南関重賞でもフタ桁着順が続くようになり…衰えが類著になります
そして金盃を最後に南関から、地方の新潟競馬場へ移籍
この時の主戦が現在南関で活躍する、川崎の山田信大□最後まで南関と関わりが深かった
そこから高知に転入し、2002年…10歳でようやく引退
現在、南関の門番的存在と言えばカキツバタロイヤルで…自身重賞3勝で中央馬には足らずも、南関重賞では常に安定したレースを披露……よく似ている
以前書いたウエノマルクン同様に、こう言った個性的な脇役が大レースを支えている事は忘れてはいけない
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『テツノセンゴクオーかぁ』
『好きだったね真っ黒な馬体が格好よかったよ』
『チョーノさんは黒い馬が好きなんですか?』
『さてと〜大井記念の予想するかな』
『冷たいですね…』