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2021/10/26 23:05
バトルプラン種牡馬引退,他2頭と共にナイスネイチャ引退馬協会の受け入れ馬に
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引退馬協会事務局は26日、『ナイスネイチャ・33歳のバースデードネーション』の受け入れ馬として新たに、バトルプラン、オースミコスモ、エスワンスペクターの3頭が加わったことを発表した。
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バトルプランは2005年生まれのアメリカ出身の種牡馬です。怪我により競走馬としては6戦しかしていませんが、ニューオーリンズH(GII)優勝など4勝、スティーヴンフォスターH(GI)2着の成績を挙げています。エンパイアメーカー産駒として期待され、2010年に種牡馬として輸入され、アロースタッドで種牡馬生活を送ってきました。代表産駒は東京スポーツ杯2歳ステークス(GIII)、サウジアラビアロイヤルカップ(GIII)優勝のブレスジャーニー、アイビスサマーダッシュ(GIII)優勝のライオンボスなどがいます。
※ブレスジャーニーがちゃんとした厩舎だたったらG1はともかくG2は勝てたモノを…もったいない(*ちなみにまだ地方で現役です)
オースミコスモ(父フジキセキ)は1999年生まれ。2001年に競走馬としてデビューし、3戦目で阪神ジュベナイルフィリーズ(GI)で3着に入賞。関屋記念、中山牝馬ステークス、福島牝馬ステークスの重賞3勝(いずれもGIII)を挙げた他、数々の重賞競走で活躍をしました。2007年に繁殖に上がり、2008年から2021年にかけて9頭を出産しました。繁殖を引退するにあたって、繋養していた広富牧場からご相談をいただきました。広富牧場では他にも面倒を見なければいけない繁殖牝馬たちがいるので、他で受け入れてもらえる馬は譲渡をし、他では受け入れてもらい辛い馬たちを面倒みていきたいとの想いから後述のエスワンスペクターと一緒にフォスターホースとして受け入れ
エスワンスペクターは(父シャンハイ)2001年生まれ。2003年に佐賀競馬場でデビューし、中央交流重賞のエーデルワイス賞(GIII)まで3連勝を成し遂げました。2006年に引退した後は繁殖入りし、2021年までに10頭を出産しました。エスワンスペクターを繋養していた広富牧場では、オースミコスモの項でも説明しましたとおり、他にも面倒を見なければいけない繁殖牝馬たちがいるので、他では受け入れてもらい辛い馬たちを面倒みていきたいとの想いがあり、エスワンスペクターをフォスターホースとして受け入れることになった次第です
オースミコスモ・エスワンスペクターはフォスターホースとして、ともに広富牧場からの受け入れが決定。北海道浦河町のCalm Days Farmに仮預託後、最終けい養先である鹿児島・ホーストラストに<※バトルプランも最終的にはココ>移動することになっている。
いろいろ大変だなぁと思う。
※追記→種牡馬引退したメイショウサムソン号とクレスコグランド号の受け入れも決定↓
メイショウサムソンは、2003年生まれで、2005年に中央で競走馬としてデビュー、4歳時には皐月賞、ダービーの牡馬クラシック2冠を制覇しました。5歳時には天皇賞(春)・(秋)(GI)連覇の偉業を成し遂げ、GI4勝のほか産経大阪杯(GII)、スプリングステークス(GII)を含めた重賞6勝を挙げるなど、重賞戦線で大きな活躍をしました。2009年に現役を引退して社台スタリオンステーションで種牡馬入りし、2013年にイーストスタッドへ移動して種牡馬生活を送っていました。代表産駒には小倉愛知杯(GIII)勝ちのデンコウアンジュ、中山牝馬ステークス(GIII)勝ちのフロンテアクイーンらを輩出しています。
この度、種牡馬を引退するにあたって、メイショウドトウ、タイキシャトル、タイキフォーチュンを引き取ったご縁から、イーストスタッドを運営する(株)ジャパンレースホースエージェンシーからディープスカイに続いてお声がけがあり受け入れが決定した次第です。
クレスコグランドは2008年生まれで、2011年に競走馬としてデビュー。GI勝ちこそありませんでしたが、京都新聞杯(GII)を勝った次のレースだったダービー(GI)では5着と立派な成績を収めました。怪我に泣き、2014年には競走生活を引退、翌2015年より、イースト・スタッドにて種牡馬として過ごしていました。メイショウサムソン同様、種牡馬を引退するにあたり、イースト・スタッドの運営会社株式会社ジャパンレースホースエージェンシーからのお声がけで受け入れが決定しました※但し一時受け入れで来年には鹿児島県NPO法人ホーストラストに繋養予定とのこと.