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2011/07/25 11:13

【禅寺の裏恋物語】(53)

料理やお酒が用意されていたが、今日はもう遅いから行為だけ馳走になり、帰ることにした。
僕には死霊か生き霊か、又は動物の恨みなのか、さっぱり解らない。 太源さんのような修行で体感し経験で判断される方は、到底我々が届く距離でわない。自分の魂が四次元に行ってしまっている時がある! 別格の修行僧である。
帰りは自転車だからすぐにお寺に着いた。それでも十一時を回っていた。 僕らはタオルで汗を拭いてから休んだ。
後四時間もすれば起きなきゃならない。
翌朝からは普段と同じ毎日が続いた。
毎日学校に行き帰ってくると勉強をして、夕方になると食事の用意。 6時の鐘を鳴らし本堂の戸締まりをして、お供えを下げる!
食事を済ませ洗い物をしてから、空いていると風呂に入る。
自分の部屋に入り写経をして、お経を覚えるのと、習字の練習をしてから9時には布団に入る。
今に成って、修行とは⇒同じことを飽きることなく続けとおす事である! 職人でも、芸術家でも、芸能人でも、医者も先生も、役人も裁判官も、全ての人が修行をして、他人から見て一人前と太鼓判を押して貰って、初めてプロとしてデビユーが叶う
坊主だけが特殊ではなかった、単なる一つの修行の選択であっただけである!
ただその修行がNPO法人と一緒で利益団体ではなく、社会教育法人と言うことになろうか
今のお寺に社会のために尽くすと言った、最も忘れてはならないことが、薄らいでいるよるうに思う。
今の本山は二年の修行僧が昔と全く同じ事を繰り返し、トコロテン式に押し出しているだけである!
これで立派なお坊さんが育つはずがない
霞が関よりも、もっと退化しているのではないだろうか

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