59件のひとこと日記があります。
2011/07/26 12:28
【禅寺の裏恋物語】(54
秋も終わりに近ずき秋のお彼岸である。彼岸の行事は全く同じである、昭和三十年は朝鮮動乱の影響で、我が国が一気に景気回復して生活が改善された頃であった。
金持ちと貧乏人との格差が始まった時期でもあった。
*働かざる者食うべからず。
*貧乏人は麦を食え。
池田隼人総理か誰かが言った言葉である。
そうした影響でお彼岸の参詣者も少なく成ってきた様に思う。
電気製品は店を飾り、国産自動車が開発され荷馬車に代わり、三輪トラックが走り回るようになった。
燃料も石炭から石油に代わり、製品原料も石油に成って、ほとんどの製造技術はアメリカからのパクリで戦後復興を遂げていたのである!
人は、苦しい時の神頼みか、段々裕福になると!
神社は初詣とお祭りだけしか行かない様になり!
お寺はまだましで、必ずお世話に成らなければならないため、義理は果たすと言った感じであった、お彼岸には一家から一人以上は
必ず参詣しにくる。
今まで色々と社会貢献をしてきた事が檀家とお寺の繋がりを深くしていたのであろう!!
又、先日の悪霊祈祷の噂が広がり。
檀家だけでなく遠い所からまでお参りになるようになり、普段の日でも、本堂よりも観音堂の方がお参りが多い。 又、特別祈祷を祈願される方も増えて、太源さんは大忙しであった。 ほとんどがご指名である!
僕は何かお参りされた証をお渡しすることは出来ないかを考えて、御守りと、功徳手帳を作った。【十一面観世音菩薩】御守護と刺繍した。中には写真を入れ、写真の裏に呪文をかいたものを入れた。功徳手帳は錦織の表紙に、和紙を十八枚を綴じ込み販売することにした。
その内に観光客まで買って行くようになり、売店を設けないと対応出来なくなった。
此を機会に毎年無料で檀家さんに限り配布していた御札の三枚セットも、販売した。
するとかなりの売り上げに成ってきたのである
ー続きはまたー