241件のひとこと日記があります。
2021/09/29 09:40
里の秋
静かな 静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ母さんと ただ二人
栗の実煮てます いろりばた
小さい頃に聞いたこの歌に田舎で暮らす母子の秋の情景を歌ったものとしか思っていなかったのだが 3番の歌詞
さよなら さよなら 椰子の島
おふねにゆられて 帰られる
ああ父さんよ ごぶじでと
今夜も母さんと 祈ります
のつながりが さっぱり分かりませんでした。この曲が太平洋戦争直後の混乱期、昭和20年12月の年の瀬に、外地からの引き揚げ者、復員兵を励ますために作られラジオで発表されたことを知ったのは大分先のことです。
父方の叔父が徴兵され陸軍兵士として仙台の第二師団に配属され、昭和17年10月太平洋戦争の戦局の厳しさが増すなか最大の激戦地となったガダルカナルに派遣されることに、これまで多くの部隊が投入されながらことごとく失敗し、最後の切り札として投入され11月に総攻撃を敢行するも失敗し、ほぼ兵力は失われた。叔父もまたこの地で戦死している。この作戦を支援した海軍もまた大きな代償を払うことになる。ソロモンの海を舞台にした海空戦は激烈を極めた。日米の艦艇による数度の海戦そして空戦により戦艦比叡、霧島を始め航空母艦龍驤、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦、輸送船の多くが沈没し、多くの航空機もまた南海に散って行った。この海域には日米の多くの艦艇が沈み 船の墓場 「アイアン ボトム」とも呼ばれている。この闘いに動員された多くの将兵は その家族が待つ祖国に帰ること叶わず、今もこの地にその魂たちは眠っている。
戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争が起きるなか「反戦・平和」を旗印に歌に執筆に デモにそれぞれの立場で行動を起こした若者たちの思い「いつか来た道」に帰ることがないように………その行動に共鳴した者のひとりとして、その思いを後世にどう伝えていったらいいのか思い悩む今日この頃である。
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ジャッキー&ロッキーさんがいいね!と言っています。
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数年前に東南アジアへの職員旅行でベトナムに行きました。現地案内の人の話を聞きながら…未だに傷が癒えてないのを実感したのを思い出しました。
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私は子供の頃、両親と原爆展に行きました。何も分からずに行ったのですが、写真や絵などに衝撃を受け、両親に「これは何?」「これはどうしてこんなことになったの?」と一つ一つ、質問しながら見た記憶があります。その夜は恐ろしくて眠れなかったことまで覚えています。
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ヤマカツサナエースさんがファイト!と言っています。