590件のひとこと日記があります。
2017/06/20 21:21
スナック・パドック 「宝塚記念」レース前・その1
「宝塚、どうする?」マスターが配達されたスポーツ紙をめくる。
「どうするって、買わない訳には行かないでしょ」
ケンちゃんは持ち込んだタブロイド判の夕刊紙をめくる。
「しかし、どの新聞見ても◎のオンパレードだな」
オレは見事に並ぶ◎の列を久々に見る。
「ルドルフの時はそれが当たり前って感じで見てたけどな」
マスターは他の馬には目が行かなかったらしい。
「シンボリ牧場・野平祐二調教師・岡部幸雄騎手と言えば三種の神器
のように競馬ファンから特別扱いされてたよな」
オレはその辺の感覚は肌身に沁みていた。
「日経賞なんか元返し(単勝配当100円)だもんな。それでもファンは
買うんだからすごいよな」マスターは腕組みをする。
「ダービーの時で1.3倍、4歳の有馬記念で1.2倍だもんね」
ケンちゃんも呆れ顔で両手を上げて万歳ポーズだ。
「オグリキャップも人気が凄かったけど単勝1.2倍が最高だな」
オレはそう言うとグラスのジャックダニエルを一気に煽った。
オグリキャップが最後の1.2倍の単勝人気に支持されたのは、5歳の春、
この年2戦目のレースが宝塚記念(阪神・芝2200m)だった。3人目の馬主
に引き継がれたオグリは、高い移籍金を賄うためにせっせせっせと働か
なければならなかった。生まれながらに曲がった前脚のせいなのか脚部
不安は常に付きまとっていた。「休ませられるものなら休ませたい」と
厩務員の池江さん(現調教師の伯父さん)はいつも愚痴っていたと言う。
しかし、オグリは走らなければならなかった。休むことは許されなかっ
た。この年の初戦は武豊騎手が乗り、安田記念(東京・芝1600m)を走った
。いつもより先手先手でレースを進めてヤエノムテキの差し脚を封じて
優勝した。そして臨んだ宝塚記念。鞍上はまだ若い岡潤一郎騎手だった。
もちろんオグリとのコンビは初めてであった。
このレースは当日、府中競馬場で見ることになった。その日の9レースで
穴買いした枠連馬券(当時はまだ馬連馬券は無かった)が運良く当たり、そ
の場で20万円ほどの現金を握っていた。仲間には「オグリの単勝へぶち込
む」と言って馬券売り場の最後列に並んだ。その立ち位置からオーロラビ
ジョンが見えた。その画面に阪神競馬場のパドックの様子が写し出されて
来ていた。オグリの前をオサイチジョージという元気者が調子の良さをア
ピールして堂々と歩いていた。その後ろをオグリがいつもの元気さを失っ
てトボトボと歩いているように見えた。「きょうは走りたくねぇ」と言っ
ているように見えた。売り場の列はあと三人買えばオレの番が来るところ
まで来ている。「どうしよう」悩んだ。苦しんだ。前を見ているのが息苦
しくて辛くなって来たオレはサッと列から横へ抜けた。オグリの単勝を買
うことしか頭に無かったオレは頭の中が真っ白になってしまった。がしか
し、よく考えてみたら「オグリとジョージの馬連を買えばいいんじゃない
の」とすぐ頭が整理出来た。でも列から抜けてしまった後なのでもう一度
並び直さなければならない。仲間はみんな買い終わっているので割り込み
は出来る状況ではない。すぐに空いている窓口を探した。急いで走り回っ
たが無い。「ブー!」締め切りのブザーが鳴り響いた。「宝塚記念、販売
終了!」である。えっ?買えないの?こんな経験は初めてだったのでそう
なった自分がなぜか情けなく思えて来た。
そしてレース(宝塚記念)はというと、元気者のジョージがオグリを31/2
馬身置き去りにしてトップでゴール板を突き抜けていた。しかし、この時
は強いジョージが話題になったのではなく、オグリが負けたということの
方が大きくマスコミは取り上げていた。何せ1.2倍の一番人気が2着とは
いえ期待に応えられなかった、この事が問題になったのである。