スナック・パドック　「天皇賞・秋」　レース前・その３

「俺にキタサンブラックの話をさせてくれよ」マスターはポツリとそう言った。
「いいっすよ、聞きますよ」ケンちゃんは優しい。
「どう考えても来るよ」マスターはブラックが負けることは考えられないと言う。
「だって前走(宝塚記念)は９着だよ」オレはのぼせているマスターの顔に冷水をかけるようにそう言うと
「あれは夢、現実じゃないの」マスターはどうかしてる。
「あのレースは確かに変だったっすよ。あのブラックが一回も先頭に立って無いんすからね」とケンちゃん。
「何かフラフラ走ってたよな。一杯引っ掛けてたんじゃないのか」オレはあぶさんの酒吹雪を思い出した。
「確かにコーナーごとにふら付いて走ってたっすよね」ケンちゃんもあんなブラックは初めて見たと言う。
「失礼なコト、言うな！」マスターが怒った。「あれは夢、現実じゃないんだよ」マスターは繰り返す。

「ソウルスターリングは元気なの？」桃ちゃんは少し心配している。
「ルメールが関西からわざわざ駆け付けて調教に乗りに来たんすよ」ケンちゃんは情報が早い。
「良い動きが戻った感じがあるぞ。脚捌きが軽快になって走るリズムが良くなったな」
オレは調教ＶＴＲを見てそう思った。前走時とは雲泥の差である。
「そう。安心したわ」桃ちゃんはそう言って生ビールを一気に煽った。
「ブラックとの兼ね合いはどうなんだ？」マスターは気になる様子。
「枠順が近いから影響は少なからずあるっすね。二頭で競り合うことは無いとは思うけど」とケンちゃん。
「行く馬(ロードヴァンドール)がハッキリしてるんだから慌てることは無いんだよ」とオレ。
「２番手がブラックで、３番手にスターリングで落ち着くだろ」マスターのプランは間違いない。
「競馬はアクシデントが当たり前のように起こる。そうは簡単じゃないだろ」とオレは釘を刺す。
「今週末は雨が降るらしいっすよ。また台風が来てるんすよ」ケンちゃん天気予報だ。
「渋ったらダメだぞ。桜花賞が証明しているからな」オレはあの走りを忘れてはいない。

「府中の長い直線の内を大きなフットワークでグイグイ伸びるブラックしかイメージ出来ないよ、俺には」
マスターは頭を抱えて唸っている。
「良いイメージが浮かぶんだから、それでいいじゃないの」オレはマスターが頭を抱えているのが理解できない
「ポジティブに考えましょうよ、ポジティブに」ケンちゃんはマスターを励ます。
「あぁ、ブラックが負けるなんて．．．無い、絶対に無い！」マスターは何も手に付かない。
ケンちゃんは焼きそばを、桃ちゃんは魚介サラダを、オレは豚キムチをオーダーしているが一向に作る気配が無
い。多分、きょうは諦めた方が良さそうだ。自然と呑む方のピッチが上がる。

アル中・ブラックは、４か月半という日数を掛けてアルコールを抜くことが出来たのだろうか？
アルコール依存症を治すのは簡単なコトではない。さらに依存症が進んでいたらどうなるのだろうか？
競馬場内は公道では無いので酔っ払い運転で捕まることは無いが、あまりフラ付きが大きいと免停になる可能性
はあるのではないか。調教ＶＴＲで見ると、少し心配な面はある。

「きょうからレースまでは禁酒する！」マスターが高々と宣言した。
「マスターの場合、禁酒した方が真っすぐ歩けなかったりして．．．」ケンちゃんはそう茶化す。
「うるせぇ！とにかくブラックがフラ付いて走らないように願掛けだ」マスターの願いは届くだろうか。

「真っすぐ走れば勝てる！」マスターはキッパリとそう言い切った。

北島三郎の一曲に「道」という唄がある。「♪道は道は遠い♪」と締めくくるのだが、ズバリ、道とは人生を
指す。人生は長いという一節である。ブラックにとっても天皇賞・秋は、通過点である。今年いっぱいで引退を
決めたブラック。それを決めた今、引退後の余生を考えると天皇賞・秋の一勝などは余りにも中途な目標のひと
つに過ぎないことが分かる。だから、ブラックよ、気負わずリラックスして走ろうよ。そうすれば自ずと真っす
ぐ走ることが出来るのである。そのあとに結果は付いて来る。ブラックに幸多かれと祈る。