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2025/09/23 21:38

スプリンターズS・1994年・サクラバクシンオー・その1

ディフェンディング・チャンピオンであるサクラバクシンオー(牡5・鹿毛・小島太・境勝厩舎)は勝った一昨年から5戦(2勝2着1回)したが芝1200mのレースは1回走った(勝った1993年スプリンターズSの次走・ダービー卿CC・中山・1着)だけだった。それまで14戦6勝のうち4勝は1200m(デビュー戦はダート)で走ったものなのにである。「歳を重ねるとズブくなる」という競馬界では都市伝説的によく言い伝えられる話を信用したのではないか。それを裏付けする良い例が1993年スプリンターズS2着馬・ヤマニンゼファー(牡4・鹿毛・栗田厩舎)だった。1992年1993年と安田記念(東京芝1600m)を連覇した馬がその年の天皇賞秋(東京芝2000m)を制して歳を重ねた距離への融通性を立証して魅せた。その後押しを得てバクシンオーも距離を伸ばして挑戦したのだったのだろう。がしかし、思うような活躍は出来ずやはりバクシンオーはスプリンター王者なのだ、と気付かされるのである。そして引退レースとしてもっとも相応しいスプリンターズS(中山芝1200m)を陣営は選んだのである。当日は1.6倍の断然1番人気で2年前であれば単枠指定されていたであろう支持のされ方だった。この頃のスプリンターズSは年末(有馬記念の一週前・2000年から秋開催)ということもあり、このレースで資金を溜めて暮れのドリームレースにドカンと投資するためのレースという位置付けだった。その年一年を華やかなものにするもしないもこのレース次第という競馬ファンにとっては見逃せないレースであった。

出走頭数は14頭、その中にはアメリカで活躍して来たソビエトプロブレム(牝4・栗毛・マッキャロン・ジルクリ厩舎)がいて注目を集めた。1994年10月からグリーンチャンネルが個人向け試験配信を初めていたので、会員登録をしていたわたしは送られて来たアンテナを家の屋根に取付けチューナーを操作して「調教映像」を見ることが出来ていた。そしてソビエトプロブレムが中山競馬場だったか白井分場だったか調教を披露した映像を食い入るように見つめた。アメリカを本拠地として走っているソビエトプロブレムは左回りコースしか走った経験が無く、右回りのコースを走ると上手に手前を操作することが出来ずに大きく膨らんでカーブするのを目のあたりにした。

・・・続く・・・

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