1625件のひとこと日記があります。
2018/05/21 22:42
テイエムオペラオー
昨日は夜勤だったのでオークスは前売で購入。アーモンドアイから穴馬込みの5頭へ馬単・3連複で流して的中。ワンコイン分プラスだった。
夜の仮眠時間中にレース結果を確認しようとスマホを見ると1件のメールが届いてた。神奈川にいた頃に行きつけだったスナックのマスターからだった。「オペラオーご愁傷様」と書かれてあった。1999年日本ダービーの日、仕事で馬券が買えないので木曜日夜に「テイエムオペラオーの単勝にお願い」とマスターに1万円渡して撃沈したのを思い出す。オペラオーが引退した次の年に私は埼玉に転勤になったので私とマスターと競馬となるとテイエムオペラオーが一番の思い出だ。
1999年の毎日杯でオッと思わせる走りで快勝する馬を発見。重賞初制覇のテイエムオペラオーだった。続く皐月賞は5番人気。この日は都合で馬券が買えなかった。用事を済ませて家に帰るとちょうどレースが始まる前だった。テイエムオペラオーは4角では後ろから数えた方が早いという位置取り。「なんだ。見込みすぎだったか…」と少しガッカリした。直線では蛯名騎乗のオースミブライトが抜け出すところにナリタトップロードが必死に食らいつく。坂を上った頃、テレビの画面の端にテイエムオペラオーが見えたと思ったら一気に前で争っていた2頭をクビ差抜き去ってゴール。家でTVを見てるのに思わず「アーッ!!」と大声が出てしまった。
ダービーでは自信満々の和田が堂々と抜け出すところを相手はオペラオー1頭と見定めたナリタトップロード・渡辺がこれを競り落とす。勝利かと思われた瞬間、2頭をマークしていたアドマイヤベガ・武豊が驚きの末脚で抜き去って日本ダービーを2年連続で勝利。若い2人は苦汁をなめさせられた。
菊花賞ではオペラオーとベガに差されて負けているナリタトップロード・渡辺が気迫のロングスパートで勝利。仕掛けが遅れたオペラオー・和田はクビ差及ばずの2着。必勝を期して出走したステイヤーズSでは菊7着のペイテドブラック・横山にクビ差負けの2着。
有馬記念出走にあたり竹園オーナーは乗り替わりを岩元調教師に提案したが「騎手は名馬に育てられる」と受け入れなかった。竹園オーナーは岩元調教師と同郷の幼馴染の間柄で岩元調教師が騎手時代に日本ダービーで勝利したのをTVで見ていつか馬主になろうと決めたそうだ。オーナーは調教師の言葉を信じて乗り替りの提案を下げ和田騎手は「ここで無様な競馬をしたらリストラされる」と必勝を期して1999年の有馬記念に臨むも結果はグラスワンダー・スペシャルウィークに僅差及ばずの3着。
2000年はオーナー・調教師・騎手・厩舎スタッフで決起集会を行い「今年は全部勝つ」と誓い京都記念から始動し勝利。続く阪神大賞典・天皇賞(春)も勝利し菊から続くナリタトップロード・ラスカルスズカとのライバル関係に終止符を打ち春のGP・宝塚記念も勝利する。秋は京都大賞典から始動し天皇賞(秋)・ジャパンC・有馬記念の秋古馬3冠を制した。ジャパンCでは3着ファンタスティックライト騎乗・世界のLデットーリに「クレイジーストロング」と言わしめ有馬記念では4角で絶対的に不利な位置になりながらも馬群を縫うように抜け出して勝利。20世紀最後の年を8戦全勝、古馬中長距離G1を完全制覇して「グランドスラム」を達成した。
2001年は大阪杯で始動するも4着に敗れ連勝ストップしたが天皇賞(春)を連覇してG1・7勝目。シンボリルドルフの記録を破るG1・8勝目が期待されたが続く宝塚記念ではココまで5戦連続で2着に下してきたメイショウドトウに敗れ2着。休養明けの京都大賞典では繰り上がりで1着、天皇賞(秋)・ジャパンCは2着に敗れ、ラストランの有馬記念は5着で記録更新はならなかった。翌年に引退式が行われたが何故かメイショウドトウと合同だった。
2011年12月1日。全国巡りで行った荒尾競馬場で行われた交流競走・たんぽぽ賞。テイエムオペラオー産駒テイエムハエンカゼが勝利。表彰式に出席されていたオーナーが帰るところに「オペラオーのファンでした。元気ですか?」と、声をかけたら「そりゃ、どうも」とペコリとして下さったのは良い思い出の1つだ。
先述のスナックのマスターはテイエム〜メイショウの馬連コロガシの儲けで店の改修をして店員を慰安旅行に連れて行けた。私はこの馬の馬券で儲ける事はできなかったが忘れられない馬の1頭だ。どうかあちらでもお元気で。
下の写真は2011年LJSアテナ賞で岩永千明騎手騎乗のテイエムリニア。この馬もテイエムオペラオー産駒だ。