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2019/07/31 06:49
ディープ先生...
ディープインパクト先生が逝ってしまいました。奇しくも父のサンデーサイレンスと同じ16歳。
あちらでもどうかお元気で。
ディープインパクト先生が現役の頃、私は東京寄りの埼玉県に住んでいたが滅多に現地観戦することはなかった。先生のレースのほとんどはウインズ後楽園でしか観戦できてない。今考えると実にもったいない。そして馬券ではあまりお世話になった覚えはない。私が馬券下手でヒモを当てられなかったからだけど。
先生のレースは勝ったレースより負けた二つの方をよく覚えてる。
初めて負けた有馬記念。ディープインパクト先生からの馬単流しでルメール騎乗のハーツクライにやられた。
2度目の敗戦の凱旋門賞はグリーンチャンネルで観戦した。3着敗戦→失格の結末にガッカリだったが、後日ビデオを見直して驚いた。武豊がディープ先生を追い出す瞬間、周りにいる騎手が全員ディープインパクト先生をガン見していたのだ。本場の優秀なホースマンにそれだけ認められ警戒されていたのだ。
その後の失格についても思うところはあるが、凱旋門賞クラスのレースがただのレースではないことを認識させられた。近い将来日本馬が凱旋門賞を勝つだろうと言われて久しいが、この時はもうしばらく難しいのではないか?と思ったものだ。こんな予感だけはよく当たる。
ディープ先生の産駒で一番の思い出の馬はキズナである。あのダービーは馬券はハズしたが本当に感動した。凱旋門賞挑戦の前哨戦で英ダービー馬との競り合いを制して勝利した瞬間はテレビの前で思わずガッツポーズしてしまった。その後は脚元とかあって成績が振るわなくなって残念ながら父のディープ先生を超えたとは言い難い。
残された産駒は今年の2歳世代と今年種付けした世代を合わせて4世代かぁ。
ナンとか凱旋門賞を勝利するようなディープ先生を越える産駒にお目にかかりたいものだ。
ナゼ、私がココでディープインパクトを先生付けしているかというと、ディープ先生以前は競馬をやる私に全然いい顔をしなかった母親がディープ先生以降は理解を示してくれるようになったからである。山の神の許しが得られて私の競馬は市民権を得たわけだ。私にとっては先生と呼ぶべき恩人ならぬ恩馬である。今でも母はディープインパクトのことを本当に楽しそうに話す。母が元気なうちに生のディープ先生を拝みに行きたかった。
写真下はキズナの日本ダービーのパドック。
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東京競馬場の怪人さんがファイト!と言っています。
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東京競馬場の怪人さんがいいね!と言っています。
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東京競馬場の怪人さん
ディープインパクトも然りですが、キズナとオルフェも凱旋門賞に応援に行きましたよ。
中々、勝たせてくれませんね。 -
広瀬北斗さんがいいね!と言っています。
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そらさん
ディープインパクトは
大好きな馬です -
そらさんがいいね!と言っています。
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エリーさん
ご挨拶、ありがとうございます。
牧場見学で知り合った人がいて、その人はディープの単勝馬券を凱旋門賞も含めて全て保管していると言っていました。 -
エリーさんがいいね!と言っています。
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エリーさん
ディープは競馬場では見ていないです。あまり競馬場にはいかないのですが、ちょっと後悔しています。
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うぉっ夏さん
ディープの新聞買うの忘れてました
ラルさん、ありがとうです(^-^)/