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2017/06/15 08:27
過干渉の母から学んだこと。ここまで、干渉
過干渉の母から学んだこと。ここまで、干渉された娘や息子はいないと思います。小学校に入る時、おばあちゃん家で楽しみにランドセルを待っていたら、箱から出てきたのは赤いランドセルではなく黒いランドセルでした。私は赤じゃないと泣き出しました。周りの大人たちもカバン屋さんが間違えたのだから、交換してもらったら、と母に言いました。すると母は「これがよいと言って買ってきた」と言ったのでした。私は学校に入る前から、わざわざいじめを受けるようなランドセルを持たされたのでした。入学するとやはり、何でお前は女のくせに黒いランドセルなんだ、と言っておさげにしていた髪を引っ張られたりしました。その当時の学校の担任の先生は、勉強だけではなく生活全般に目が行き届いていて、私のランドセル事件は直ちにどんな色のランドセルであったりどんなかたちのカバンであっても学校に来るのに決まりはありません。そんなことでいろいろ言うのは間違っています。気をつけてものを言いなさい、としかりつけてくださりいじめはなくなりました。しかし、私の心は悲しみでいっぱいでした。学校から帰ってくるとそのランドセルは家の玄関に放り投げて友だちん家に遊びに行きました。好きになれないので一年も経つと結構傷が付いていました。大切に扱う気になれなかったのでした。そして、教科書やノートはさっさとランドセルから出して机に置いたりしていました。ランドセルは床の上に放り投げていたように記憶しています。私にとってランドセルは夢の通学道具ではなく、教科書やノートを入れる袋だと考えだしていました。そして、秘かに自分流の考え方を学び始めるきっかけになっていったのでした。いろいろな考え方があってもいいのだ、とオリジナルなものの考え方をするようになりました。簡単に言うと私は母のことを完全に馬鹿にするようになって行きました。何を言っても聞いてもらえないくせに、直ぐにおじいさんやおばあちゃんに頼る、甘やかされた大人として見るようになっていきました。つまり、子どもの方が大人びて行き母は過保護にされた子ども大人として母を見るようになりました。 立場が精神的に逆転していったように思います。 そして、結婚して子どもが生まれてきて、私が考えたことは「母を反面教師にして全面的に否定し、子どもには決して口出ししたり押し付けたりしない教育をしよう」と心に決めて見守りはするが口出しはしない教育を心掛けました。それは結構、成功したようです。息子は自ら学ぶと言う行為の出来る子どもに育っていったように思います。母の過干渉から学んだ私の教育理念でしょうか?