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2019/09/15 09:02
人間のエゴ
いろいろな災害が世界で発生しています。
いつどこで、災害がおきるかは解りません。しかも台風が過ぎてからも苦しめる人間社会がもたらした、二次的被害は自然災害以上に人々を苦しめることになっています。電気需要がもたらした二次的被害は人の命を奪う結果になるなんて、誰が想像していたでしょう。暮らしの質をあげることばかりに目を向けて、自然との兼ね合いに気がつかなかった人類に…地球が危険な惑星となって来ていることを示し始めたようです。☆……………………………又、我が国ではさまざまな事件が日常的におこっています。人々の暮らしが向上したかに見える中で、家族内のトラブルによる殺人事件が多くなり、人々の心に余裕やゆとりが無くなってきているように思います。ごく普通の老人から学生までが事件を起こしている。直ぐにキレてしまう体質になぜなっているのか…恐らく依存性が強くなってしまったからではないかと私は考えています。何にでも頼る生活で、〈楽して〉快適を求める依存性が人間本来に備わっている身体能力や知的能力を封印してしまっているように思われるます。鍛えるのはスポーツ選手に限られている、なんて不思議な現象がおきています。メダルや賞金目的が有れば心身共に鍛えられる。つまり、人間が餌を求めて食らいつく動物性に退化し、目的思考だけになってしまっているように思います。☆……………………………これは戦後の教育が男女平等を掲げながら、すべての人にチャンスがくる学歴優先社会となり、良い学校、高い学歴、資格優先となった為に親は自分が教育せず、塾や進学先の学校に丸投げしてしまうからではないのかと。家庭教育なんて受けたことがなく、いきなり他人に委ねられた結果、実際には家族の絆はなくなり、言葉だけがひとり歩きしている現実。体感しないで育てられたことによる、本能の萎縮が愛情を実感出来ないからではないかと。
それが原因で不満が出てくると手の打ちようが無くなり、事件になっていくのではないか。
戦後教育の歪みが日本の日常的な精神の安定感を損なっていると思います。
優良な学校、高い学歴、高い賃金を得る資格を目指す為だけに組み立てられた人生の設計図を生まれた子どもに押しつける。
個性なんて全く存在しない風潮となってしまった。 むしろ、家庭環境が特別な子どもの方が特技が伸ばせると言う不平等な教育に傾き、子ども本来の能力を切り捨ててしまう結果となってしまった。