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2017/12/28 08:06
妄想の話
猛烈な低気圧の接近で、新千歳から飛び立つ飛行機が軒並み運休となっていた。
僕は迷わず、空を諦め函館へ向かった。鈍行に揺られて約二時間。ラベンダーブルーのラインの入った新幹線が悠然と佇んでいた。
「今行くよライト。」
雪に強いその列車は、猛吹雪の中ゆっくりとそして逞しく遥か南へ向かって走り出していた。行く手を遮るものすべてを容赦なくかき分けるように。
ライトに初めて会ったのは当歳の時。彼はまだ産まれたばかりの子馬だった。
登校前の早朝と夕方、厩舎の藁の掃除が僕の主な日課だ。この時、厩舎にいる馬に触れられるのが凄く嬉しかった。
彼らは時には高値で取引される、いわば牧場の貴重な財産。子供の僕が触れられるのは、こんな時くらいなのだ。
生まれつき体が弱く、体も小さかったライトには、買い求める馬主に恵まれなかった。仕方なく牧場名義で競走馬登録されたのである。
僕としては、競走馬になれなくても構わないと思った。ただ、それでは高値で種付けされ、産まれた意味がない。
サラブレッドは、走らなければ意味がない。それが競走馬の宿命なのだ。
人間に対する恐怖か、牧場の飼育員誰にもなつかなかった彼が、僕には何故かなついた。僕が子供だというものあったのだろう。いつしか、兄弟のように仲良くなっていった。
乗り運動が始まっても、ライトは僕に変わらず接してくれた。次第に調教にも慣れ、いよいよ競走馬らしくなると、誰に対しても臆する事なく悠然と振る舞えるようになっていった。
時折、引き上げてくるライトと鉢合わせると、彼はうれしそうに首を横に二回振る。これは僕らのシグナル。
幼い頃、彼の首筋をそっと撫でてやると、くすぐったそうに首を振った。そして鼻面を僕の顔に近づけてくるのであった。
いずれ彼は競走馬になる。いつか別れの時が来る。そう構えて彼に接してきたが、やはり別れは辛いものだった。
遠く栗東に向かう馬運車に、彼は乗り込んで行った。
「ライトがんばれよ!」
泣きながら掛けた僕の声にも立ち止まらず、彼は堂々と乗り込んで行ったのだ。この瞬間、彼はライトからシャフトオブライトになったのだと思う。
彼が居なくなった毎日は、まるで心に穴が空いたように寂しく切ないものだった。空っぽの馬房で、ただ放心したまま佇んでいた。
やがて、彼がデビューを迎えた時も、レースは見ていない。万が一、レースで事故があったら…。怖くて見ていられないのだ。
未勝利勝ちの一報は、GI挑戦というオマケつきで聞いた。
「ライトがGIに出る。」
栗東に立つ前、彼に「GIに出たら、応援に行くよ。」と言ったあの夜の事がフラッシュバックした。あの時も、彼は静かに首を振り、僕の顔に鼻面を近づけた…。
チケットの手配は両親がしてくれた。馬主代理の東京の叔父と会うのは幼稚園の時以来だ。突き動かされる衝動を、抑えるすべは僕にはなかった。
列車が白河の関を越える頃には、窓口から見る景色に雪が無くなってきていた。山間に沈む夕陽。太陽を見るを見るのは何日ぶりだろうか。
…今年最後のGIファンファーレは、あと24時間後に迫っていた。