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2017/12/30 00:05
地元を愛する理由。
井伊直弼は悪か?善か?
安政の大獄で吉田松陰らを処刑した幕府側の首班が井伊直弼だったはず。
開国を幕府に迫り、結果的に倒幕を果す薩長の維新軍。長州側の主軸の師、松下村塾の塾長が吉田松陰であるわけで、開国し、新幕府を築く薩摩・長州が官軍扱いされ、いわば正義として教わって来たわけである。
日本の歴史をきちんと受けてきた人からすれば、井伊直弼は悪人と捉えるのが正解なのだと思う。
ところが、私は井伊直弼を悪と思っていなかった。これ、カミサンに指摘されるまで気付かなかった。
これ、元を正すと戊辰戦争に行き着く。鳥羽伏見の戦いを機に、倒幕に向け勝利した薩長が官軍、負けた幕府軍は賊軍扱いされているとわかる。
有名なのは、会津藩主・松平容保。京都御所に守護職として入り、倒幕まで将軍側に付くわけだ。
情勢は思わしくないのに、その藩主を信じて慕った会津の方々が何とも不憫だ。そして勇ましく、立派だと思う。
白虎隊は言わずもがな。何より、会津戦争で戦況不利と見るや、生きて辱しめを受けるなら、と自ら命を絶ったという女性たち。
いつの時代も女の人の強さには、本当に関心してしまう。
命を絶ちきれず、援軍が来たと信じ、止めを刺すよう懇願する話。相手は実は赤髪の島津の敵兵。
「味方だ安心せよ」と楽にさせたという話は、作り話だとしても泣けてしまう。
この辺で、どちらが正義で悪なのか、既に解らなくなっていると思う。
震災の時、萩の市長が救済の為に物資を届けに会津市長を見舞ったという話。ここに極めつけがあると思う。
物資を受け取った、会津若松市長は、萩市長に謝辞を述べる。すると萩市長は、およそ150年前の無礼を詫び、和解を求めた。
ところが会津の市長は「今回の恩義は存分に感謝する。ただ、昔の話とは別の話。ご先祖さまに申し訳がない。」と和解を拒否するのだ。
なんという郷土愛。容保を慕った会津の血が、今も根付いている証拠だろう。
結局、明治維新の際、どちらに自らの地元が付いていたか、で幕府・新政府のどちらを官軍扱いしたかが別れていると思える。
自分が何故か会津を官軍に見ているのかは、結局の所解らないけれど。
高校野球とか、地元の事にやたら肩を入れたがる性分であるルーツはこの辺に表れてるような気がする。