15件のひとこと日記があります。
2013/02/27 17:10
ギャンブラー作家たち(その2 阿佐田哲也)
阿佐田哲也の小説は殆ど読んだはずだが色川武大はあまり読んでいない。「怪しい来客簿」となにか・・・。恐いのである。様々な人間の本質を見て半生を過ごすと人は自分の中になにを見るか。恐いが読まなければいけないとは思っている。これからアジア旅行に1冊ずつ持っていくか。
そんなわけで「麻雀放浪記」など阿佐田哲也ものでの感想だが、これもまた恐いのである。とても悲しい寂しい小説である。ギャンブルの本質を問えばそうなるんだろうな。
・・・そうではあるのだが「麻雀放浪記」はギャンブルの教科書的な面もある。その教えのおかげでマカオで勝利したことがあった。放浪記の何巻目だったか夜行列車博打の場面がある。サイコロだったか花札だったか列車の通路で場がたつ。場が白熱し皆が賭け終わると「車掌だぁ」の声。その場を隠して車掌が行き過ぎてから胴元が再開しようとする。坊や哲はアヤがついたからと駒を下げる。案の定出目は親の総取りであった。
マカオにある団体にくっついて行ったことがあった。カジノに行く前にガイドが説明をした。良心的な人だったのだろう。種目は「大小」がいいという。マカオの「ルーレット」は後出しじゃんけんと同じベットが済んでからシュートする。ディラーは皆自由に目は出せるのだ。それを前提に何処に放るかを推測しての勝負がルーレット。後出しなら狙われようが、嫌われようが文句は言えない。
「大小」の勝負が進んでいって、一人の貧乏そうな若者が参加した。大金をはる。最初は小。当たる。次も小。当たる。何回か当たってその若者が今までの儲けを前に押し出した。場が沸いた。若者のとおり賭ける者、逆を張る者。
あぁここだなと「麻雀放浪記」のシーンが浮かんだ。迷わずゾロ目に賭ける。ルーレットの「0」「00」と同じそこ以外は親の総取りなのである。蓋を開けると3個のサイコロが揃って3の目を出していた。
ディラーの苦虫を噛み潰した顔。
車掌も若者も胴元とグルなのは言うまでもない。