34件のひとこと日記があります。
2018/09/21 22:36
娘たちが病を克服して、それぞれの幸せをつかんで欲しい」願いは、ただそれだけでした
1945年(昭和20年8月4日、江波国民学校六年だった私は、四年生の弟と二人で倉橋島の疎開先から、二泊3日の予定で広島市内の実家に帰省していました。
数日前から、朝起きると瞼が開かないほど目ヤニがひどくなったため、広島県庁の近くにある眼科医で治療してもらおうと思っていたのです。
8月4日の夕方に実家に帰り、5日6日と眼科医で治療を受け、6日の夕方には疎開先に戻る予定でした。
6日の朝、自宅からバスで二十分ほどのところにある眼科医に行くため、私はバスに乗りました。
舟入の「一軒茶屋」辺りまで来ると警戒警報が発令され空襲警報に変わったため、乗っていたバスから降ろされました。