160件のひとこと日記があります。
2020/03/24 18:56
アラブ首長国連邦の騎手(UAE)・その1
今回のドバイにおける競馬開催において、特にウインブライト号に関連した書き込みを行ったが、ことのほか「騎手」について詳しく書いた。
直接的な切っ掛けは「キセキと角居調教師」における川田・ミルコ・ルメールの各騎手の振る舞い。
ウインブライト号において、万が一でも騎乗できなかった場合には現地騎手を乗せることを提案していた。UAEにおいて日本人騎手がおり、水野翔騎手がいる。
詳しくは岐阜新聞の「水野翔騎手ドバイ挑戦、愛馬ファスバで5着」
https://www.gifu-np.co.jp/play/keiba/20200229-219446.html
だが、自分は水野騎手を挙げなかった。理由については「現地騎手との腕の差」。その腕の差についていえば、現地騎手の多くは英国・愛国・仏国の3国において「何らかの理由」といっており、その理由は様々と書きましたが、その理由は
「自国でレースに参加できなくなった(3国において)」
その一点。
この3国は「馬主・生産者・調教師・騎手」の4者共同チームで競馬を施行している。例えば「ゴドルフィン」の場合、馬主・生産者のオーナーブリーダーであり、調教師のサイード・ビン・スルールと契約し、騎手はウィリアム・ビュイックと契約している。この騎手契約の内容は1番手「ゴドルフィンの最も実力ある馬に優先的に騎乗」することで成立される。他にも2.3番手として「ペースメーカー」「調教助手」の順番。かつてランフランコ・デットーリ騎手を1番手とした時代では、2番手としてリチャード・ヒルズ騎手。ヒルズ騎手には双子のマイケル・ヒルズもいる(競馬一族のヒルズ一家)。リチャード騎手は実力十分の名騎手であり、2000年代においてペースメーカー役もやっていた。しかし、契約上デットーリが1番手あり、彼が最もゴドルフィンの実力ある馬に騎乗していた。リチャードの2番手前任者としてウォルター・スウィンバーン騎手(ラムタラの主戦)もいた。
ここで問題となるのが2.3番手に甘んじる騎手の立場。3国は馬そのものが「少数精鋭」で行われ、騎手においては1番手が最も騎乗数が多く、2.3番手は1番手より騎乗数が半分にも満たない。所属する共同チームにおいて長年2.3番手に甘んじると、「引退」「調教助手」「生産者」などの選択肢に迫られる。ヒルズ家のように競馬一家であれば引退しても競馬に携われるが。
あくまで「騎手としてレースに参加したい」方。今回の最大のテーマである。少数精鋭かつ、「毎年騎乗できることが絶対条件」たる3国の競馬において、その条件が何らかの理由で満たせなかった場合には「契約解除」となる。契約解除されると「仲介者(マネージャー)」を雇ってフリーランスで騎乗する以外なく、現在のライアン・ムーアもその立場である。ムーアのように「GI御用達」であれば、細い線のごとく騎手生活ができるが、その線「腕前」が切れてしまうと、もう3国で騎手生活ができなくなる。
※現在のライアン・ムーア騎手は、準契約という形でエイダン・オブライエンと結んでいる。
その2に続く。