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2020/04/17 09:47
森秀行調教師の歴史と方針
ハッピーグリンの一件で森秀行調教師(厩舎)のことを書いてみました。コロナウイルスのこと書くより、こういうことを書くほうが面白い。歴史と方針を書きました。
1992年まで故・戸山為夫調教師の元で学び、1993年に戸山調教師の死去に伴い、一部戸山スタッフと自身が育てたレガシーワールドでジャパンカップ制覇。また、フジヤマケンザンを9歳まで全盛期を維持しつつ、当時は無名レースだった香港カップ制覇を成し遂げた。1998年には外国産馬シーキングザパールでフランスのモーリス・ド・ゲスト賞で日本調教馬による海外初GI制覇や、アグネスワールドの活躍もあった。
「戸山調教師から学んだ坂路調教のスパルタとレース数を使う」
「海外遠征を積極的に行う」
「芝ダートの短距離レースを中心とする」
のは今日までの森厩舎の基本方針だ。
2000年に入ると小崎憲(現調教師)を参謀とし、エアシャカールで皐月賞と菊花賞を制覇。また、ノボトゥルーで外国人オリビエ・ペリエ騎乗でフェブラリーステークス制覇の時期に
「地方交流レースへの積極的な出走」
「外国人騎手の積極的登用」
ノボトゥルーは12歳まで地方交流レースを中心に走り続けた。
しかし、2008年の中期に差し掛かると厩舎成績が急落する。過剰な調教とレース数に意をそぐわない(合わない)ことで馬主から転厩されたり(リンカーン)、また、馬主に積極的なスカウトをして曰くつきの転厩馬(シーキングザパール時代から、フサイチゼノンは特に有名)を預かったりと。馬の出し入れが激しくなり、厩務員らを困惑させた。また、参謀だった小崎憲の独立。
馬主スカウトにより
「馬主に高額な外国産馬を買わせる」
ことも始めたが、馬そのものをみる相馬眼は優れてなく、全く走らなかった。それが仇となり、日本の生産者からも、自分自身も敬遠した。2008年のキャプテントゥーレの皐月賞制覇が現在最後の中央GI制覇。
頑迷な相反する方針、会社経営者としてみた場合は「失格」そのものである。
以上のことで厩舎成績は転落。2006年は63勝したが、現在の成績は30勝ぐらいである。淡路島の自身が監修した『awajiトレーニングセンター』で、「自己流の仕上げ」に拘っている。
看板馬はマテラスカイで、「外国産馬」「短距離馬」「海外遠征」を行うという森厩舎らしいが…現在の森調教師のやり方・考え方は現在の日本競馬を考えると「時代の波に逆らう変わり者」もので、頑迷な人なのは全く変わらない。
ノーザンファームの外厩、北海道の中小生産・育成の改革、自分より若い調教師の台頭と考え方など。
現在2020年の3月30日で49歳。まだ調教師としては「若い」。頑迷に自分を突き通せるのか、丸くなるのか分からない。書いている自分としてはフジヤマケンザンやシーキングザパールの時代のほうがやり方・方針のほうが最も安定して、愛着あった。果たして森秀行調教師はどうなるのか。