160件のひとこと日記があります。
2020/05/04 12:03
1980年代の日本競馬の人物
アドマイヤビルゴの掲示板に書いたこと。
----
シリウスシンボリは日本一の強権オーナーたる和田共弘さん(猛牛)
(今の社台ファーム吉田三兄弟が(子犬)に見えるぐらいの、当時日本競馬馬主最高権力者)
「岡部幸雄がいい(日本一の騎手)」という理由で
主戦騎手兼所属騎手の加藤和弘騎手(現調教師)を降ろしたことで怒った、
その所属騎手・その師たる二本柳俊夫さん(猛虎)
(これも今の社台ファーム吉田…以下同文、当時日本競馬調教師最高権力者)
和田・二本柳さんの日本一おっかない人同士の猛牛と猛虎の怒り狂う騎乗をめぐる対立。
加藤→岡部→加藤(ダービー制覇)した経緯、「最も乗りなれた人」がダービーを勝ったんですよ。
今の日本競馬最高権力者たる吉田照屋勝巳晴哉さんら三兄弟が当時子犬なら、
その父吉田善哉さんもまた和田共弘さんと対等たる、当時日本競馬馬主最高権力者(ブルドック)。
ちなみに善哉さんと俊夫さんは仲が良いし、アンバーシャダイやシャダイアイバーという
いい馬を預かってました。
今は亡き近藤利一さんすら怯えるほど出来事でした。
----
今の日本競馬の馬主と調教師さんが昔話として恐れられた、シリウスシンボリのダービー乗り替わり事件。当時の日本競馬の人物、偉人らですが、1980年代は馬主も調教師も対等の関係でした。
和田共弘さん(猛牛)
二本柳俊夫さん(猛虎)
吉田善哉さん(ブルドック)
吉田照屋、勝巳、晴哉さん(子犬)
に例えましたが、まさにその通りなんですよ。
当時和田さんはシンボリルドルフをもっていた。
二本柳さんはアンバーシャダイやシャダイアイバーをもち、
それを二本柳さんに預け授けたのが吉田善哉さん。
この三者三葉は日本競馬の中心的役目を補ってました。
既に和田さんと二本柳さんとの馬主調教師対立は語りましたが、
一方で馬主同士(生産者)和田さんと吉田善哉さんもまた対立を深めていました。
このブレーキ役として機能していたのが北野豊吉さん(メジロ)なのですが、 1984年…シンボリルドルフのダービーの年・2月に死去、翌1985年がシリウスシンボリのダービーの年。
北野豊吉さんもまた日本競馬馬主最高権力者であり、優しい人柄から日本競馬における人望の厚い方。その方が亡くなったことが引き金だったのか、今まで安定していた「馬主」と「調教師」との対等な関係が崩れ去った。1990年に入るとその対等な関係もぎくしゃくしたものとなったのが今の競馬における人間関係。