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2021/01/13 14:02
木村哲也調教師の教育目的の暴力
一言で申せば「社会を学ぶ20歳の若年に教育目的による暴力は駄目」。
ここは一人の大人として、社会経験ある人間として語りたい。
まず、20歳の成人である大塚海渡騎手(実父は大塚哲郎調教助手)はまだ「子どもの性格に『大人の性格』を植え付ける」過程の人間である。そのため短絡的に話せば「よいことわるいことを学び取る」のを教わる、教え込ませるのである。
ただ、教わる側と教え込ませる側とのコミュニケーションが上手くいかないと教わる側からすれば「反骨心」から反発する。教え込ませる側からすれば「いら立ち」から反発する。双方反発し合うとコミュニケーションが上手くいかず、教わる側から離れてしまう。よく「若者は仕事は長持ちしない」と言われるが、その要因は双方の反発から端を発する。
教え込ませる側は「よいことわるいことを学び取った」大人である。だが、そういう大人の中には「学び取った大人」との付き合いはよくとも、「学び取れない大人」との付き合いが悪い人間もいる…「優柔不断」。
大人の我々でも上司の中には「優柔不断」な人を経験した人はいるだろう。そういう人と付き合うのも大人の社会であるが、経験している人間とそうでない人間(20歳の若年)とでは経験さが出てくる。
自分の実父(大工の棟梁で、競馬と同等の厳しさ閉塞した社会)も教え込ませる立場で、どちらかといえば「暴力(殴打言葉含め)」の人間だったが、若年に対する付き合いに悩ませた。時としてはその厳しさについていけずに辞めていった若年もみた。その話を毎日のように聞いてきた息子の自分だが、その行為を「駄目」と言わず、ただ「こうしたらどうだ」と付き合ってきた。実父は「今は今、昔は昔」という社会の変化に悩み、自分自身を変える過程をみたのである。それが、今の私自分。
今は今というのは「暴力は駄目、厳しくも優しく教える」
昔は昔というのは「暴力と権力と厳しさで教え屈服させる」
なのだが。
残念ながら木村哲也調教師は「今の若年を教える立場」としては不適正と言わざる負えない。また、大塚海渡騎手については「まだ大人社会を学び取ることは永遠である、挫けてはいけない」。
最後に一言だけ。
木村哲也調教師は「吉田家・ノーザンファームの生産馬一本」で預かっている身。結果を出さなければいけない立場から「腕のいい騎手」を使わないといけないジレンマに悩ませる。そこに新人の大塚海渡騎手を起用する隙間はない。「新人騎手育成」する環境でないことだ。