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2021/10/19 09:24

1979年 菊花賞 その1

今年2021年と来年2022年は阪神競馬場にて菊花賞が施行される。
既に取り上げられているが、この1979年の阪神競馬場で施行された菊花賞はハシハーミットハシクランツの同馬主同厩舎のワンツーフィニッシュだった。馬主はシンザンクラブ(出資者は橋本家と谷川牧場)、調教師は内藤繁春さん。まだ熊沢重文騎手所属する前の頃。その頃はとくに主戦騎手はきまってなかったが、ハシハーミットが河内洋騎手、ハシクランツが柴田光陽騎手で互いに調教師になっている。

この1979年は福永洋一騎手が毎日杯にて落馬事故、その落馬事故の毎日杯を勝利したのがハシハーミットと河内洋騎手。河内騎手はこの年オークスにてアグネスレディーで制覇。一躍関西、しいては福永洋一騎手に代わる日本のトップジョッキーへ上り詰めるのである。

18頭。メンバーを見渡すと…
2着。ハシクランツ。5歳大阪杯と6歳鳴尾記念制覇。宝塚記念2着。5歳時はワシントンDCインターナショナルにも挑戦した(勝ち馬は凱旋門賞2着のArgument)。6歳時は気性悪化と能力低下で活躍できなっか。
3着。皐月賞馬ビンゴガルーが1番人気で、小島太騎手。前年サクラショウリでも1番人気だったが、お互い勝利することは叶わなかった。
4着。リンドプルバンはダービー2着の2番人気で、嶋田功騎手。右回り不得意左回り得意の馬。4着。カツラノハイセイコ最大のライバルの1頭。

ハシクランツビンゴガルーリンドプルバンらは菊花賞後に有馬記念に挑戦。それぞれ4着、競争中止引退、10着となった。

5着はヨシノスキー。中距離巧者として短命な活躍ながらもクモハタ記念、金杯(東)、中山記念と中山中距離3重賞制覇。なお、同じ中距離巧者のカネミカサの中山記念3連覇を阻止したこともでも有名で、その時の騎手は3連覇阻止男・的場均と河内騎手と同じ世代。もちろん騎手の活躍は言うまでもない。
6着はニチドウタロー。翌年天皇賞春を制覇し、村本善之騎手躍進の影響を与えた勝利。河内、村本、田原の関西若手3人時代がこの1979年を皮切りに完成した。なお、田原こと田原成貴はリンドプルバン初重賞制覇たる鳴尾記念のパートナーを務め、高松宮杯でも勝利を収めた。
7着はファインドラゴン。前哨戦の京都新聞杯にて有力馬を撃破。その後も活躍する。南井克己騎手が主戦だったが、南井も同じ世代たる若手3人時代から10年遅れて大レース活躍する。
8着はトウショウイレブントウショウボーイの全弟である。セントライト記念にてビンゴガルーと好勝負し、京都新聞杯でまさかの大敗と血統背景ともども大きく裏切られた。重賞ではそのセントライト記念とダイヤモンドステークス2着がある。
9着はメジロトランザム。翌年日経新春杯を制覇し、天皇賞春もニチドウタローに続く2着となった。
10着はニホンピロポリシー。この馬は服部正利調教師と馬主ニホンピロの黄金タッグの期待馬だったが、皐月賞大敗でこの菊花賞では平凡な馬になっていた。この世代では最も有名なるのが早かったのだが。
11着のファーストアモン。新潟3歳ステークス、京成杯、新潟大賞典と3重賞制覇。
13着のテルノエイト。関西・関東きっての最強のダート馬。のちに盛岡に移籍してその地でも最強ダート馬として活躍。
14着のエイシンタロー。馬主として若い平井豊光氏の持ち馬で、京都4歳特別を制覇。
15着のロングオーカン。とにもかくにも詰の甘い馬。菊花賞後も800万1300万条件戦をうろうろしていた。
17着のハヤテアズマ。この馬が逃げた。逃げることは上手な伊藤清章騎手。この年、バンブトンコートの騎乗でファンから痛い目遭わされ、一時河内騎手に任されるほどだった。

その2に続く。

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