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2018/09/17 08:13
2018年9月16日(日)阪神戦4-20
20点も取られ、16点差で負けた試合に
ついて、やはり何か書き留めておくべき
だと思った。しかし、ライトスタンドで
見届けた僕も、特に感想はないのだ。
すぐに無かった事にする。慣れているから
僕にはそれが出来る・・・それが僕の応援
スタイル。それが僕の愛・・・???
それで良いのか?悔しくないのか?
自問自答してみると、まず悔しいという
感情について、ファンの立場で言うと、
ファンが負け慣れてはいけない、悔しさ
を忘れてはいけない、とよく見聞きする
が、僕はそれは違うと思っている。
それは選手の立場で言う言葉だと思う。
試合の結果やひとつの対戦結果、ひとつ
ひとつのプレーの結果を、僕らは関与
出来ない。声援が選手の力になるのは
疑いたくないが、結果を左右する主な
要因は、選手達の実力に他ならない。
僕はかつてスポーツ選手、もちろんアマ
だが、だった。その時抱いた悔しい、
という感情と、応援でしか力になれない
ファンが持つ悔しさを、同一にする事
など到底出来ないし、同一であっては、
そこに悔しさをバネにした選手の成長
など見込めない。僕は負けて悔しかった
から、一生懸命に練習した。僕にとって
「負けて悔しい」は、選手に望むもの。
僕はただひたすらに「残念」
だとしても負け試合、特に昨日の様な
大敗を観戦して、何も感じないという
僕も、それで良いのか、と思うのだ。
万が一、大敗において、選手の「やる気」
を感じなければ失望するだろう。しかし
それはない。「やる気」を疑ったら最後。
それはファンを辞める時である。
スタジアムにおける野次や罵声を、
「叱咤激励」という都合のいい言葉に
置き換えれなくもない。だが僕は、その
「叱咤激励」を叫ぶことすらしない。
だからといって「明日は頑張れ」などと
のんきな言葉を掛ける試合でもない。
ただひたすらに、舌打ちするわけでも、
イライラするわけでもなく、静観する。
守備中は存在を消し、攻撃中は声を張り
上げる。ヤケクソに近いわけではあるが。
今までも何度かそれで良いのか、と考え
た事もあるが、いつも答えが出ない。
ただひとつ昨日はコレなんだと思う事が
あった。16点差での応援団長の言葉
「大好きなベイスターズを応援しよう」
僕はホッとして、頬を緩めてしまった。
団長、「やっぱお前は本物のバカだ!」
そして俺もベイスターズバカだ。俺は
ベイスターズバカになっている。そう
感じて、なんか嬉しくなってしまった。
「叱咤激励」も「静観」もそれぞれの
応援スタイル。僕はこれからも静観する。
選手が監督が「最後まで諦めない」と
言うのであれば、僕はそれを信じ最後
まで諦めずに応援する。そして苦しさも
逃げずに責めずに共有する。だからこそ
「歓喜」を共有出来ると思うからだ。
次のその「歓喜」がいつになるかは分か
らない。でも僕は待ち続ける。なぜなら
僕は本物のベイスターズバカになりたい。
心の整理はつきました。
今日もハマスタへ
大好きなベイスターズを
応援しに行ってきます。
2018年9月16日(日)阪神戦4-20
忘れてはいけない。これも歴史のひとつ。