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2018/11/01 00:03
ルーズショルダー
1998年11月3日優勝パレード。僕は行か
なかった。日本シリーズを追いかけて、
雨天中止もあったり、雪の舞う所沢での
徹夜で体調はボロボロ。でもバイトには
行かなければならない。無理を言って、
休みを貰ったし、何よりお金を使い過ぎ。
チケット代だって、記念グッズだって、
1週間も野宿すればお金が掛かる。酒代も
結構いってしまったと思う。だから僕は
優勝パレードを見ていない。しかしそれ
だけではない。とても優勝パレードなんて
気分でなかったのも確かなのだ。その頃、
競馬を覚えたての僕にとっては、初めての
受け入れ難い事故が起きてしまった。
11月1日サイレンススズカの安楽死。
秋の天皇賞、圧倒的な1番人気は馬券云々
ではなく、その強さと速さで僕を魅了して
いた。規格外、史上最強。僕にとっては、
初めて惚れたお馬さんだったから。馬券は
買えなかった。お金が無いから。それでも
僕はバイトの休憩時間を合わせて、テレビ
に観入っていた。安楽死。それすら何事
なのか理解していなかったと思う。競争
中止の後すぐ楽になるなんて、思っても
いなかった。実際、安楽死なんて想像も
出来なかった僕は、それを後で知る事に。
アレが最後の姿だったのか。時既に遅し。
だから1998年僕の記憶は11月1日で止まっ
てしまった。11月3日その歓喜の輪に加わ
る事なく止まってしまったのでした。
あれから20年、少しは大人になったで
あろう僕は、サイレンススズカの生と死を
人間の虚像だとする反面、その能力の高さ
故に、心の強さ故に、早過ぎる死を迎えた
のだと。そして最後まで優しい馬だった。
そう理解して20年目の秋を迎えている。
・・・だから僕にはやり残した事がある。
僕は優勝の瞬間は疲れ果てたハマスタの
ライトスタンドでボーっとしていたが、
まぁ何事か理解出来なかった訳で。そう、
現実として理解し落ち着いて歓喜する為の
優勝パレードには参加していないのだ。
だからまだサイレンススズカには会えない。
能力の高さ故に怪我をする。そんな事を
書こうと思ってルーズショルダーという
タイトルにしたのだが、サイレンススズカ
の後では流石に書きにくい。また次回。