1848件のひとこと日記があります。
2022/05/07 07:28
オウンオピニオン(1981年ジャパンカップ)
茶の名産地と聞いて、私が真っ先に思い浮かぶのは中国とインドだ。
実際、茶の生産高は中国とインドが世界トップ2を占めている。
アジアで近代競馬が最初に根付いたのはインドにおいてだったとされる。
インドは英国の植民地だったので、英国式の近代競馬が早く導入されたのだろう。
日本競馬とインド競馬の関係は意外と古い。
1968年2月、後にJRA顕彰馬となる1956年ダービー馬ハクチカラ(1953~1979)が種牡馬としてインドに寄贈された。
1981年11月22日の第1回ジャパンカップは、日本競馬が世界とのレベル差を痛感したレースでもあったと聞く。
優勝馬は米国のメアジードーツ(C.アスムッセン)だった。
日本勢はゴールドスペンサー(大西直宏)の5着が最高順位だった。
そのレースにインドからオウンオピニオン(M.ジャグデイッシュ)が招待されていた。
Simeadの仔オウンオピニオン(栗毛牡:1975~?)は小柄な馬体(JC出走時398キロ)でありながら69キロの酷量で勝ったこともあるそうで、生涯戦績43戦27勝。
インドでの戦績を見ると、当時のインド競馬トップレベルの強豪馬だったことは間違いないと思われる。
彼は当時の日本メディアから「インドのシンザン」と呼ばれたらしいが、15頭立て13着の結果だった。
今でもインド西海岸のムンバイでは割と大きな競馬場(マハラクシュミ競馬場)があると聞いた。
昭和の地方競馬場を思わせるノスタルジー色の濃い競馬場だとか。
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YOSHIさん
おるたんさん
おはようございます。
JCは芝レースでしたが、初期のJCは欧米馬が強くて日本馬はなかなか勝てなかったですね。
「インドのシンザン」ことオウンオピニオンは当時日本でかなり話題になったらしく、「飼葉にカレーを混ぜてるらしい」「騎手はターバン着けてるらしい」「火を噴くらしい」などと、出鱈目な噂話が飛び交ったとか。
実際は、当時のインド競馬に蹄鉄を打つ習慣がなかったことから、馬場が合わずJCで良い走りが出来なかったそうです。
インドからの招待馬は後にも先にも彼だけですね。 -
YOSHIさん
kannapapaさん
おはようございます。
私も驚きました。
当時「インドのシンザン」と報道されていたとか。 -
おるたんさん
こんばんは。
遅くなってごめんなさいね。
1981年11月22日の第1回ジャパンカップは、日本の競走馬と
アメリカやインドなど世界の競走馬が競ったんですね。
そしてアメリカが強かったのですね。芝ですよね。
今ではアメリカでは芝よりダートがメインだったり、
日本はその逆だったり、レベルも含め40年くらいの間に
大きく変わったんですね。
インド競馬のお話も大変興味深かったです。 -
kannapapaさんがいいね!と言っています。
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こんばんは。
インドの馬がJCに出ていたのですね。知りませんでした。色々と勉強になります。 -
おるたんさんがいいね!と言っています。
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YOSHIさん
Mr.flehmenさん
こんにちは。
1981年JCは日本競馬界が世界レベルの高さを痛感したレースだったそうですが、インド競馬界にとっても同様だったと思われます。
オウンオピニオン以後は、イリューシヴピンパーネルElusive Pimpernel(1991~2003)ミスティカルMystical(2002~)らがインド競馬の著名馬だそうです。 -
Mr.flehmenさんがいいね!と言っています。
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インドの競走馬が日本に来てたんですね!驚きました!
いつも勉強になります。 -
とらじろうさんがいいね!と言っています。