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2022/06/30 05:53
セイユウ(2022年6月30日雑記)
今日は「アラブの怪物」セイユウ(1954~1977)について調べてみた。
ライジングフレームの仔セイユウ(鹿毛)はアングロアラブ(アラブ血量25.00%)で、中央競馬で唯一サラブレッド系重賞を勝ったアングロアラブだった。
生涯戦績49戦26勝(対サラブレッド戦24戦5勝)、主な勝ち鞍は1957年セントライト記念・読売カップ(春)・読売カップ(秋)他多数。
特に1957年セントライト記念では、ラプソデー(1957年菊花賞馬)やセルローズ(1958年天皇賞秋勝ち馬)ら当時の一流サラブレッドを破る快挙を成し遂げた。
セイユウは1958年天皇賞秋6着を最後に現役を引退し、翌1959年から1977年に他界するまで種牡馬生活を行った。
セイユウの仔は少なくとも850頭近く確認できるが、あるいはそれ以上いたかも知れない。
彼はアラブ系牝馬を多数集め、供用2年目には年間100頭を超え、1966年には1年間の種付け数としては当時の世界記録となる238頭の記録を樹立するほどの猛者だった。
あまりの猛者ぶりに農林省(現:農林水産省)が人工授精を疑い、役人がセイユウの種付けを監視しに来たというから凄まじい。
様々な伝説を作り、長年にわたり日本競馬界を支えたセイユウは、1977年4月28日に急死した。
23歳(旧24歳)だった。
セイユウは1985年にJRA顕彰馬に選出されたが、アングロアラブ馬では唯一の壮挙だった。
凄い馬がいたものだと、改めて思った。
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ウイズダムさんがいいね!と言っています。
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YOSHIさん
おるたんさん
こんにちは。
そちらでは豪雨ですか!
大丈夫ですか?
豪雨と水害が大変なことと思います。
アングロアラブ競走が無くなったのは随分前で、セイユウやイナリトウザイらの活躍も遠い昔話になりました。
それでも、彼らのようなアングロアラブの歴史的名馬がいたことは知っておきたいなと思いました。
アラブやアングロアラブは元々軍馬としての需要から競馬文化も発達したそうです。
しかし戦争も終わり、サラブレッドよりも頑丈だったアングロアラブも「速さ」でサラブレッドに引けを取るようになりました。
それによって、競走馬としてのアングロアラブの需要も細るようになったと聞いています。
遅くとも2013年(福山競馬場閉場)にはアラブ競走は行われなくなったようですね。
ただ、今でもアラブ愛好家によって生産自体は細々と続いているそうです。 -
おるたんさん
こんにちは。関西も猛暑日で、熱中症の危険と隣り合わせなのですね。
くれぐれもお気をつけて下さいね。
北海道では、豪雨が降って、何か所か川が氾濫して、住宅の浸水、避難など
しているようです。道南や旭川の方のようです。
セイユウは、中央競馬で唯一サラブレッド系重賞を勝ったアングロアラブだったのですね。
そしてのちにJRA顕彰馬にも選出されて。
セイユウがアングロアラブ馬では唯一の壮挙だったんですね。
私が競馬をはじめた時にはもうアングロアラブのレースはなかったと
思います(たぶん)
外見だけでもサラブレッドとは違う(と分かる)ものなのですか?
どうしてアラブ馬のレースはなくなってしまったのでしょうね?? -
YOSHIさん
東京競馬場の怪人さん
おはようございます。
セイユウといいイナリトウザイといい、凄いアングロアラブ馬がいたものだなぁと思いました。
地方でもアラブのレースはなくなって久しいですね。
伝説のアングロアラブ馬たちの走りも、遠い昔話です。 -
東京競馬場の怪人さんがファイト!と言っています。
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東京競馬場の怪人さんがいいね!と言っています。
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東京競馬場の怪人さん
おはようございます。
セイユウ記念でこの馬の名前を知っている程度です。競馬博物館の殿堂にも彼の名前が記されていて、絵と銅像がありますね。
強いアングロアラブ馬って時々出るんですよね。セイユウ記念を3連覇したシゲルホームランやJRA最後のアラブ馬のレースの勝ち馬ムーンリトガールなどを覚えています。だから競馬は面白いのかも知れません。
昔の大井の東京盃は、出走条件が「オールカマー」だったので、サラブレットとアングロアラブ馬の対決が見られました。
地方でもアラブのレースはもうないと思うのですが、時の移り変わりは止められないのかなと思います。